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秘教治療

アリス・ベイリーの秘教治療を紹介しつつ、ヨガの先生の教えを回想する。霊治療、光線エネルギーのまったく新しい知識を織り込んでいきます。エーテルについての知識を広めることを目的としています。

ラrポートについて

ラポートについて
私はかつて学習塾を
経営していたことがあります。
1年に2回、夏と冬に
学習塾用の教材展示即売会が催されます。
そのときに
展示を主催する会社が
塾経営のノウハウも販売しようとして、
塾経営のコンサルトをしている人を招いて、
講演会を開きます。
私もその講演会に参加して
お話をききました。

若い講演者でした。
その方のお話の中に
「ラポート」という言葉が頻繁に、
使われていました。

「どこかで聞いたことのある言葉だな」
と思いながら聞いていました。

講演者の話では、
塾の講師は教える生徒と
「ラポート」しなければならないという趣旨でした。

私はその「ラポート」という言葉が
秘教治療のテキストの中で、
使われていたことに気づきました。

治療家が患者のエネルギー中心(チャックラ)の状態を知るために、
トラブルのある肉体部位近くの中心(たいていは太陽叢)に
対応する自分のチャックラから
わずかにエネルギーを投射して、
その状態を自分のエーテル体中心に反映させます。
つまり患者とラポートします。

治療家の中には、
透視力(エーテル視力)を
獲得している人もいるでしょうが、
DKは透視力よりも、
直観力の方が望ましいと述べています。

いずれにせよ、
いずれかを用いてラポートします。
このラポートというテクニックで、
患者のチャックラの状態が推測できます。

占星学者が顧客のホロスコープを作成しつつ、
治療家と同様に、顧客とラポートします。
顧客の状態が直観できる状態になります。
このラポートは、占星学者にとって大切なことで、
もしラポートができていないと、
占星学の診断は、たいして役に立ちません。
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  1. 2011/12/31(土) 04:06:12|
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電車道の丸い石について

電車道の丸い石について
昔ブログに
こんなことを書いたことを思い出しました。

私が保育園児だった頃、
たぶん3歳か4歳の頃だと思います。
電車道に敷き詰めてある石が
すべて丸くなっていることを発見し、
非常に珍しい石であると思い、
小さな前掛けにいっぱい包んで
家に持ち帰りました。

自分としては、
宝物を見つけた気分だったのです。

家の庭でかんなをかけていた大工さんが、
私を見つけてたずねました。
「前掛けに、何をいれているの?」
私は興奮気味に答えました。
「めずらしい石がいっぱいあった」。

前掛けの中身を見せると、
大工さんは大笑いしました。

そのとき自分が
どうして笑われているのかわかりませんでしたが、
後年になって、
その意味がわかりました。

電車道の丸い石ではありませんが、
これまでの人生経験で獲得してきたと
思い込んでいるさまざまな観念を
今は心の中にしまっています。

数年後には、
それらの観念を大事そうに抱え込んでいる
自分自身を振り返って、
かつての大工さんのように
微笑ましく思うかもかもしれません。

真理はそれらの観念の中には、
含まれていないからです。
そんなことを思うこの頃です。
  1. 2011/12/30(金) 04:08:10|
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「秘教治療」に関するたのブログについて

「秘教治療」に関する他のブログについて
秘教治療に関する
他のブログをネット上で探していて、
興味深いサイトをみつけました。
「我輩はライオンである」というブログです。
http://ericababaji.cocolog-nifty.com/blog/

このブログはとても参考になるので、
時間的余裕と興味のある方は訪れてみてください。

このブログは
バランスの取れている方の文章だと感じました。
実践的で、勉強になります。
秘教治療について
理解を深めるのにとても有効です。

それにしても、
DKが予言していた通り、
アリスベイリーは、
この教えを実際には
60年も前に書いていましたが、
今の時代に理解する人々が
続々と出現してくるということです。

DKは100年先を見通して
あれらの教えを公表していたのですね。

実際に世界奉仕者の新集団の
磁力治療グループが物質界に形成されるのは、
もう少し先になるかもしれませんが、
その萌芽というものが見えます。

勇気が湧いてきます。
  1. 2011/12/29(木) 04:14:54|
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美女と野獣について

「美女と野獣」について
学生の頃に見た映画の題名です。

魔法をかけられて
体は人間ですが、
頭の部分が猪で、
ツノも生えている王子さまが、
野獣にされたのです。

お城に一人すんでいます。

そこへ旅から帰ってきた
ひとりの商人がやってきて、
庭園の美しい薔薇を一本盗みます。

末娘に頼まれたお土産にしようとしたのです。

それを見つけた野獣の王子が商人にいいました。
「お前のところの娘をここによこさなければ、
お前の命はない」と。

商人は家にもどり、
事情を話して末娘のベルを
お城におくりました。
野獣の頭をした王子は、
意外にも心が優しく、
心配のあまり病気になってしまった商人のもとに
末娘をかえしてやります。
しかし約束のときまでに戻らなければ、
野獣は死んでしまうとつげます。

城に戻るのが遅くなって、
野獣は今にも死にそうになりますが、
末娘のベルはそんな野獣を気の毒に思い、
野獣のために涙を流します。
その涙を浴びた野獣は魔法が解け、
元の王子の姿にもどります。

この映画は、
メルヘンチックな
おとぎ話だと理解していましたが、
人の性格を
野獣から王子へと変貌させる
愛の力を魔法になぞらえて、
オカルト的真理を伝えるための
寓話であることに気づきました。
  1. 2011/12/28(水) 06:15:51|
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東方の三博士について

東方の三博士の象徴について
福音書の物語は、
イニシエーションの過程を
象徴的に伝えるものであることを
以前に述べました。

東方の三博士の象徴の意味が
突然ひらめきました。

三人の博士を
イエス誕生の地ベツレヘムまで導いた
『星』の光は、
人の中に目覚める『魂の光』を象徴しています。
三人の博士とは、
脊柱基底部に眠る三つのクンダリーニの火を象徴しています。
そして飼葉桶の中の赤子とは、
ハートセンターの『キリスト意識』を
象徴しています。

クンダリーニの三つの火とは、
アリス・ベイリー著「宇宙の火」の中で
その詳細が論じられている
「摩擦の火」「太陽の火」「電気の火」のことです。

呼吸法を行じて
クンダリーニの火を
頭頂にあげることに成功した
と公言する多くの人々は、
単に「摩擦の火」のみを
あげることに成功しただけで、
あとの二つの火
「太陽の火」と「電気の火」は、
上げられていません。
しかし摩擦の火はエゴ意識を強くするだけです。

三つの火をすべて頭頂へとあげるためには、
必ずキリスト意識がハートセンターに
目覚めていなければならない
という真理を福音書は伝えています。

キリスト意識に目覚める以前に
呼吸法によって
クンダリーニの火をあげようと試みた人々は、
そのことを他の人にも勧めるという誤った行動をとります。
それは「災害」を引き起こすことになります。

カルトの指導者が
超能力を求める多くの若者たちを
災害へと導いたことは
記憶に新しいことです。

キリスト意識に目覚めた人々は、
クンダリーニの火を上げたことを公言して
人々の注目を引き付けるようなことは決してしません。
むしろそのようなことを公言する人に
注意すべきです。
  1. 2011/12/27(火) 04:36:09|
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祝福の瞑想について

祝福の瞑想について
今日は祝福の瞑想に行ってきました。
大袈裟に
エネルギーがどうのこうのと言う人がいますが、
私は長年祝福を受けていても
たいしたことは感じません。
いつもと同じです。

近い将来、
人類にとって春の三大祭と
このクリスマスの祝福が
大きな意味を持つと誰かがは予言しています。

私個人は、
これらの祝福はそれほど人々に
魅力を覚えさせるものだとは感じはいません。

むしろキリスト教会で行われる
ミサのように敬虔な雰囲気の方が
人々をひきつけるのではないかと思います。

昔先生が
「真味、之淡(しんみ、これたん)」
とおっしゃっていました。

その意味は、
「ご飯は、味の濃いおかずと比較すると淡白だが、
 決してあきのくる味ではないので、
 主食として、長く食することができる。
 それに対して味の濃いおかずは、
 繰り返し同じものを食することはできない」
という意味です。

それと同じで、
永遠の真理というものは、
アストラル界の情報と違って、
センセイショナル(つまり人目をひくような)ところがありません。
祝福も、極めて常識的で、
誰もが近づき参加できる
穏やかな催しごとですが、
長く続き
次第に広まっていくという意味です。
  1. 2011/12/26(月) 04:58:30|
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二人だけの瞑想

二人だけの瞑想
ひと頃は、八畳の和室が
狭く感じるほどの人が集まって
瞑想していたこともありました。

十人の人が瞑想に参加していたことがありました。
ところが今日はクリスマスイブで
いつものメンバーは
楽しいパーティに参加するのか
瞑想に参加せず
三人どころか二人だけの瞑想です。

三人以上で初めて可能となる
三角組みを作って瞑想するのですが、
その三角組みが今日は一つもできていません。

いつの頃からか二人だけのときでも、
席だけは三人以上になるように用意して、
そこに主に参加していただくことを空想しながら
瞑想するようになりました。

人数が多いときには、
それなりのエネルギーの強烈さを感じますが、
たった二人で瞑想するときでも、
瞑想を始めた初めの頃は
そのようなときが長く続きましたが、
やはり同じように
エネルギーが流されるということを確信していました。
だから、まったく意気消沈せずに瞑想します。

瞑想を終わって外に出ると、
雪でもふりそうな冷たい夜空に
大きな星が見えました。
それは輝く星ではありませんが、
夜空がくっきりと晴れ渡っているいることがわかるほど
星が輝いていました。

主よ、明日は大勢で瞑想します。
あなたの祝福を受けるために。 
  1. 2011/12/25(日) 04:30:35|
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神の本質は愛すること

神の本質は愛することである

24日(金)夜10時からTVで放送された
NHKの番組で
「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズ」というのがありました。
その中でジョブズが言っていた語録と、
24日に私が読んだ「マイトレーヤからのメッセージ」の言葉が
よく似ていたことに驚きました。
偶然の一致ですが。

コンピュータの革命を起こしたジョブズは、
自分は人類の先人たちが残してくれた知恵と知識を、
感謝して表現しようと努めただけだと述べていたのです。

その知識と知恵は
人の心の底にあるのだと、
述べていました。

主マイトレーヤも、
「光と真理のすべては
 人の心の中にあることを示すことが、
 わたしの目的である」
とメッセージの中で述べています。

人の心の中に秘められている
光と真理が表現できるようになるのは、
ジョブズがそうであったように、
愛にめざめて、
人を愛するようになってからです。

つまり人の心の中に、
すべての光と真理が秘められていますが、
それを発掘するための触媒とも言うべきものは、
分かち合いと正義を行う愛の表現である
ということです。

私はこの簡単な事実を悟ったので、
神となれる気になってきました。

すみません。
あなたもこの簡単な事実を悟れば、
神となることができますよ。

すべての人が「生まれつつある神」ですから。
  1. 2011/12/24(土) 03:49:51|
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バランスについて

バランスについて
ヨガの呼吸の科学は、
最初にバランスをとることを教えます。
肉眼には見えない
エネルギー通路が背骨に沿って存在している
と教えています。
イダ、ピンガラ、スシュウムナと言う
三本のエネルギー通路がそれです。

背骨の左側がイダ、
右側がピンガラ、
中央がスシュウムナと呼ばれています。

左が陰、消極のエネルギー、
右が陽、積極のエネルギーで、
両者のバランスがとれると、
中央のスシュウムナを通って、
脊柱基底部のエネルギーが
頭頂に上ると説明しています。

かつて、呼吸について
主がこのようなことを
言っていたことを思い出します。

麻薬に溺れた若い人々に、
自分が本来
どのような存在であるかを
思い出させるために、
若者たちに簡単な呼吸法を教える
教師を養成しなければならないと。

呼吸法は、
覚醒になくてはならないものだと
そのとき思いました。

呼吸法は両刃の刃(やいば)です。
執着をもって、
呼吸法を熱心に行って、
災害に逢った人を知っています。

教師の下で、
きちんとした指導を受けて行う呼吸法は、
確かに霊性を高めてくれます。

「ホワイト・マジック」には、
呼吸の科学についての記述があります。
それを読むと、呼吸法が効果的となるためには
機械的に吸う息と吐く息を
リズム的に行うだけでは
不十分であることが分かります。
それは、出発点にすぎません。
  1. 2011/12/23(金) 02:02:35|
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右の頬を打たれたら、左の頬も出しなさい

「右の頬を打たれたら、左の頬も出しなさい」
福音書のどこかに
このような言葉が書かれていたと思いますが、
正確にはどのように言われていたのか
定かでなかったので、
探してみました。

探すのに
初めから読み通すことが
必要でしたので、
探すことをあきらめました。

この教えを忠実に実行しようとなさるあなた。
あなたは世間的常識では
狂人にされかねませんね。

でも、あなたは「いのちの法則」を知って、
神へと帰還する
急峻な道を登ろうとしています。
あなたには、
ロック・クライミングのように
高度な技術が必要となるでしょう。

どうか踏み外すことがないよう、
そしてつかみ損なうことのないように、
気をつけてください。
私はあなたを尊敬し、
あなたの後からついて行きたいとも思います。

他方二千メートル級の
安易で、楽しさに満ちたハイキングコースを
歩いていくことにも魅力を感じています。

私はその中間に立って、
バランスをとることを学ぼうとしています。

右の頬を打たれたら、
すぐに逃げ出してしまうかもしれません。
「左の頬は、次回にして」と叫んで。

先回「バランスをとること」について書きましたが、
私にとって、これは重要な要素であることを知りました。

仏陀の「聖なる中道の道」は、
このことを言っていたのですね。

この道は、イニシエーションの道であることを知りました。
  1. 2011/12/22(木) 04:15:15|
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バランスということ

バランスということ
バランスはどんなことにおいても、
人が成長発展するものには
基本的で美的にも構造的にも
欠くことのできないことがらです。

私はバランスが大切なことは
知っていたつもりですが、
それが弟子道において
重要の意味をもっているということには
考えがおよびませんでした。

弟子道におけるバランスとは、
何でしょうか?

それはマインドと感性のバランスです。
敏感で、サイキックな人は
時としてマインド面での不備を感じさせます。
他方、マインドが発達しているインテリは、
感性を発達させればいいのにと思います。

メンタル体とアストラル体の
バランスが取れた発達が、
進化の道では重要な要素です。

バランス感覚とは、
アストラル体とメンタル体だけにかぎりません。
日常生活における
外面世界での生活と内面世界での生活、
個人の生活と集団での生活など、
あらゆる面に関わっています。

光線構造を知っている人は、
偶数光線と奇数光線のバランスが
第一番に関心事になるかもしれません。

偶数光線が多い人は、
具体的実践的活動にかけることがあります。
他方奇数光線の多い人は、
内面的生活、抽象的な認識にかけることがあります。

いずれにせよバランスに注目して
欠けている点をなくすことが
この生涯での目標となります。
  1. 2011/12/21(水) 06:17:57|
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おつとめ価格

おつとめ価格
私のアパートから、
歩いて5分とかからない場所に、
バローをいう大規模店舗があります。
夕刻のある時刻をすぎると、
「おつとめ価格」の張り紙が張られた食品が
たくさんあらわれます。

私のように、
初老の一人もの生活者には、
ありがたい仕組みです。

少し以前には、
賞味期限ぎりぎりまで、
同じ価格のラベルが張ってあり、
賞味期限が切れたものは、
どうなっていたかわかりませんが、
姿が消えていました。

価格を下げて売ると、
消費者はそのときを待つようになって、
定価で売れる数が少なくなって
儲けが少なくなるという判断でしようか。

3.11以後、
日本は大きくかわりました。

分かち合いが徐々にですが、
浸透しているのを感じます。

もちろん私はそのおつとめ価格を狙って、
夕刻6時ごろに買い物に出かけます。

ここだけの話、
定価385円の鍋セットが、
285円に、
さらに時刻が遅くなると、
185円になります。

今日は、プロザイックな話しになりました。
  1. 2011/12/20(火) 05:46:50|
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「小人閑居して不善をなす」について

「小人、閑居して不善をなす」
自分は大人(だいじん)ではないけれど、
少なくとも不善はなしていない、
だからこの諺はあてはまらない、
と考えているあなたに
このブログを読んで頂きたい。

実は私自身不善をなすなんてことは、
絶対にないと考えていました。

不善というのは、
「善ではないこと」ですが、
邪まなことかと言えば、
そうとはかぎりません。
手っ取り早く言えば、
くよくよと思い悩むことです。
「閑居する」とは忙しくないことです。

忙しくないと
私たちはたいてい、
エゴ的発想でものを考えます。
エゴ的にものを考えるとは、
「自分は間違っていないのに、
 どうしてこんな目に遇うのか」とか、
「なぜ自分だけこんな不遇な運命を辿るのであろう」
などとくよくよと思い悩むことです。
要するにマイナス思考です。
消極的思考が己ひとりだけでなく、
周辺の人々・自分と関連のある人々に影響を与える
という真理をこの諺は伝えています。

忙しくしている人、
目的意識を持って活動的に行動している人は、
周辺の人々・関連のある人々に
積極性と明るさを伝えることができます。

たとえ大人ではないとしても、
ある愛のエネルギーを放射することになるのではないでしょうか?

少々難しい要求をあなたにつきつけました。
あなたが忙しくして、
くよくよと思い悩むことがないことを願ってのことです。

弟子道では、
自分のことを考える余裕がないほど、
多くの仕事を抱え、
それらをてきぱきと片付けていくことが要求されます。
そのようにして、
「不善をなす」ゆとりが持てなくなるからです。
  1. 2011/12/19(月) 04:23:36|
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「エリエリレマサバクタニ」の続き

「エリエリレマサバクタニ」の続き
光の世界に出る前は、
暗い闇の世界を経験するということは、
イニシエーションに限らず、
普遍的なことであることを
森羅万象の中に見ることができます。

植物が発芽して、
燦燦と太陽の光を受ける前には、
暗い土中で過ごします。

蓑虫がさなぎから蝶へと変身する前は、
蓑の殻の中の暗闇の中で過ごします。

蝉が成虫として
夏の暑い日の光の中で、
力いっぱいに泣き声を
空中に発する前に
長い年月を土中ですごします。

私たちは誰もが人生の最盛期を迎える前には、
暗い不運な人生を送るという経験をしています。

第四ニシエーションを受ける前に
魂の目であるマインドの機能が失われるのを
経験するのはイエスだけでは
ありません。

後に聖パウロとなる
ユダヤ教徒のサウロは、
キリスト教徒の弾圧に加担していましたが、
ダマスカスへの道の途中で、
復活したイエスから呼びかけられ
改心してキリスト教の弟子となりますが、
啓明のイニシエーションを受ける前に、
やはり視力を失います。

大きな光を受ける前は、
人はあらゆる意味での視力
(魂の目はマインド機能です)を失うことを教えているのが
「エリエリレマサバクタニ」の意味です。
  1. 2011/12/18(日) 02:52:20|
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「エリエリレマサバクタニ」について

「エリエリレマサバクタニ」
私は学生時代に、
東京で過ごしたことがあります。

新宿駅で電車を降りたとき、
駅の構内で柱を背にして改札口に向かって
ジッと立っている一人の女性を見かけました。
何しているのだろうと興味を持ちました。

彼女は「新宿のマリア」と呼ばれている人で、
詩を書いて、
それを新宿駅の改札口を出てくる
これはという人に売りつけて、
それを生活費にして生活していた
バガボンド的な人でした。

駅構内では商売はできないので、
改札口を出た人を追いかけ
交渉して自分の詩集を売るのでした。
私は彼女に詩集を売りつけられました。

その詩の中の一篇の中に
「エリエリレマサバクタニ」
という言葉が書いてありました。
私がその言葉を読んだときは、
何の意味かなあと思いました。

その後、彼女が私の友人の一人と
同棲していることを知りました。

しばらく経って、
その言葉はイエスが十字架上で、
絶命する直前に発した言葉で、
「我が神、我が神、何ぞ我を見捨てたもうや」
という意味のヘブライ語であることを知りました。

この言葉を読むと
第三イニシエーションをパスしていた
イエス覚者さえも、
土壇場では神を疑うことがあるのかと思いました。

DK覚者の解説を読むまでは。
DK覚者の説明では、このイエスが発した言葉は、
各イニシエーションを受ける直前に、
イニシエートは一時的盲目状態におかれる
という事実を伝えるための
マントラムであることが説明されていました。
  1. 2011/12/17(土) 03:55:26|
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魂という平安

魂という安心感
ある人へのメールを書いていて、
ふと気づくことがありました。
もし晴れた日の空が青くなかったら、
地上に繁茂している植物が緑色でなかったらと。

神が創造された大自然の中には、
象徴という形で、
で不朽の知恵が秘められている
ということに気づきました。

空の色は、
時には雲って灰色になりますし、
日中でも黒雲に覆われて嵐を予告したりします。

日が沈んでしばらくの間は、
紫色の夕焼けで西の空をおおい、
ミレーの晩鐘という絵に描かれているように、
今日一日を無事に過ごせたことを
感謝の祈りを捧げる敬虔な気持ちへと誘います。

このように
平和な一日を過ごすことができましたが、
他方世界には多くの苦悩があります。
しかし、その苦悩は神が創造されたものではない
という思いがあります。

以前の自分は、
他者と自分をわけへだてることにより
自分が創造した苦悩に陥っていました。

今は、
人の世の苦悩と自分を分け隔てることはできませんが、
魂は神が創造された一部であり、
神が創造されたものに
責任を持っておられる限りは、
その一部である魂に対しても
きっと世話をしてくださるだろう
という安心感があります。

この安心感は、
人生における危機と呼べることを通して、
やってきました。
だから私は自分に降りかかった不運を
今は感謝の気持ちを抱きつつ
振り返ることができます。
  1. 2011/12/16(金) 01:50:23|
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病気の意義について

肉体の病気という障害の意味について
「秘教治療」のテキストには、
肉体の病気の90%ぐらいは、
情緒体(アストラル体)に原因があると、
述べられています。

残りの10%は、
エーテル体とメンタル体です。
メンタル体に原因のある病気の割合は、
非常にわずかです。

病気は「いのちの法則」(原因・結果の法則)を
思い出させるためのもの
光をもとめさせるものであると
考えることができます。

病気から回復すると、
人はある種のすがすがしさを感ずることができます。
そして心が浄化されたような気がします。
カルマの償還がなされたのです。

個人のカルマ的原因で病気になる場合には、
過去生でのエネルギーの誤用についての
ある認識が芽生えているなら、
再び同じような病気をすることはありませんが、
そのような認識がなければ、
再び同じ病気にかかる可能性があります。
そのときは前よりもひどい病気になっているでしょう。

以前のブログで、
ガン患者の方と殺人者のホロスコープが、
奇妙にもよく似ているというお話しをしました。

どちらも意志エネルギーの誤用ですが、
殺人者は実際の行為で表現するのに対し
ガン患者の方は魂意識で、
それを抑制しているのだと思います。
がん患者の方の思いが、
殺人の思いだったいうのではありません。
感情は殺人者のような破壊思想だけではありません。

病気は生命法則を知らしめる
神の愛から作られています。

聖者も病気になります。
先ごろサイババが肉体から去るとき、
マスコミの中には、
「神を自称していて、
 他人の病気は治せるのに、
 自分の病気は治せないのか?」
と言う論調でコメントを載せているものがありました。
聖者は自分の使命が成就されたとき、
自分の肉体に弟子たちのカルマを引き寄せ、
つまり、弟子たちの解放を助けつつ、
死を迎えるのです。

病気は「いのちの法則」を思い出させる働きと、
死をもたらすためのものという
二つの働きがあります。
  1. 2011/12/15(木) 03:58:46|
  2. 秘教治療
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贖罪の意味について

贖罪の意味について
キリスト教会では、
懺悔という行いが行事となっていて
キリスト教信者は、
教会内に設けられている
小さな懺悔室の中に入って、
牧師さんや司祭に
自分が犯したと感じている罪を告白します。

牧師さんや司祭は、
決してその告白を他言しません。

だから信者さんは、
安心して告白できます。

この懺悔という方法は、
エゴの持つ罪悪感から魂が解放され
病気を予防する
優れた手法であると思います。

ルソーの告白録を初め、
多くの作家がこの手法を用いて、
作品を書いていることは、
それが魂の解放と無関係ではなかった
ということではないでしょうか?

懺悔または告白がなされずに、
秘密という形で
エゴの罪意識を保持し続けていると、
そのエネルギーは
凝縮されて閉じ込められた爆薬のように、
強い力で諸体に影響を与え、
最終的に肉体に病気として結果が現れます。

肉体に結果が現れることは、
ある意味、よいことです。

肉体に結果が現れていない
エゴの分離思想は、
最終的には生命エネルギーを
粉々にしてしまいます。

マイトレーヤは、
分かち合いかそれとも分離の道か、
二つに一つの道の選択を人類に迫っています。

次回は、肉体の病気という障害の意味について考えます。
  1. 2011/12/14(水) 04:18:11|
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祈りの科学について

祈りの科学について
青山圭秀(まさひで)氏の何冊かある本の中の
どの本であったのか覚えていませんが、
氏が広島のカトリック系私立高校の生徒だったころ、
イエズス会の牧師さんが宗教の先生で、
その先生に瞑想の指導を受けていました。

牧師さんがチベットの貧しい人々に
教育の機会を与えようと日本を離れるときに、
青山氏の霊的探求に恩寵があるように、
その牧師さんは祈りを捧げます。

青山氏がサイババのアシュラムを訪れたとき、
サイババはその牧師さんの祈りを受け止めて、
青山氏に恩寵を授けられます。

青山氏はサイババからそのことを聞いて、
祈りと言うものは、
決して無駄にはならず、
アバターなどの偉大なる霊存在に
必ず感知されていることを知ります。

青山氏の本を読んで、
私は祈りの効果についての疑念が払拭されて、
以後DK覚者が勧めておられる祈りと
BCが紹介された新時代の祈りを
欠かさずに毎朝唱えることにしました。

これらの祈りは、
物質的恵みをもたらすものではなく、
個人的霊的な恵みをもたらしてくれるものです。
同時にささやかながら、
世界の平和にも貢献しているという満足感と、
個人的な平安感を与えてくれるものです。

21世紀の新世界宗教は、
どのような組織にも属さない
新たな形態をとることが予言されていますが、
その中心となっているのが、
祈りの科学です。
  1. 2011/12/13(火) 05:09:04|
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「求めよ、さらば与えられん」について

「求めよ、さらば与えられん」について
私は毎朝ブログを書いています。
今日は、何のテーマについて書こうかなと考えていると、
たいていは何らかのテーマが見つかるものですが、
何も見つからない日もあります。

今日がまさにその日です。

それである方にメールで述べたことを、
このブログ用にお借りして述べたいと思います。
それは個人的なことではありません。

先日ゲイリー・レナード氏の
「不死というあなたの現実」という本のことを述べましたが、
その中にイエスが当時に語ったままの言葉、
つまり、福音書を筆記した後の世の人々や教会によって
変更がなされない元の言葉を引用しました。

それは、聖書の中の
「求めよ、さらば与えられん」(マタイ7:7)という
聖書の言葉の元になったと考えられる言葉です。

この聖書の句は、
たぶんイエスの
「求める者は見つける。叩く者に、扉は開かれる」
という言葉から作られていると思われます。

微妙に違います。
イエスは「与えられる」とは述べていません。
「見つける」と述べています。
マタイの福音書では、
「扉があけてもらえる」となっていますが、
イエスは単に「開かれる」とだけ述べています。

これらの違いは何を物語るのでしょう。
他力本願的な要素よりも、
自力本願的な要素の必要性が
はっきりと述べられているではありませんか?

「人事を尽くして、天命を待つ」
という姿勢こそが必要で、
ただ待っていれば、
神が救ってくれるという消極的な姿勢ではありません。

しかし、過度の自己中心的意識によって、
自分が何事かをもたらすことができると考えて
苦闘して消耗する弟子に対しては、
その自己中心的な意識から離れるためには
ハイラーキーにとっては
個人よりもグループ全体が重要であり、
個人の問題には関心を持たない
ということを知る必要があります。
  1. 2011/12/12(月) 04:34:54|
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(

「求めよ、さらば与えられん」について
私は毎朝ブログを書いています。
今日は、何のテーマについて書こうかなと考えていると、
たいていは何らかのテーマが見つかるものですが、
何も見つからない日もあります。

今日がまさにその日です。

それである方にメールで述べたことを、
このブログ用にお借りして述べたいと思います。
それは個人的なことではありません。

先日ゲイリー・レナード氏の
「不死というあなたの現実」という本のことを述べましたが、
その中にイエスが当時に語ったままの言葉、
つまり、福音書を筆記した後の世の人々や教会によって
変更がなされない元の言葉を引用しました。

それは、聖書の中の
「求めよ、さらば与えられん」(マタイ7:7)という
聖書の言葉の元になったと考えられる言葉です。

この聖書の句は、
たぶんイエスの
「求める者は見つける。叩く者に、扉は開かれる」
という言葉から作られていると思われます。

微妙に違います。
イエスは「与えられる」とは述べていません。
「見つける」と述べています。
マタイの福音書では、
「扉があけてもらえる」となっていますが、
イエスは単に「開かれる」とだけ述べています。

これらの違いは何を物語るのでしょう。
他力本願的な要素よりも、
自力本願的な要素の必要性が
はっきりと述べられているではありませんか?

「人事を尽くして、天命を待つ」
という姿勢こそが必要で、
ただ待っていれば、
神が救ってくれるという消極的な姿勢ではありません。

しかし、過度の自己中心的意識によって、
自分が何事かをもたらすことができると考えて
苦闘して消耗する弟子に対しては、
その自己中心的な意識から離れるためには
ハイラーキーにとっては
個人よりもグループ全体が重要であり、
個人の問題には関心を持たない
ということを知る必要があります。
  1. 2011/12/12(月) 04:33:26|
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命の使い方について

「命の使い方」について
NHKのテレビドラマ
「真珠湾からの帰還」を見ました。

海軍の下士官が、
真珠湾攻撃のときに、
仲間の人たちが死して
軍神として日本の人々の崇められるのに対し、
自分だけが
米軍の捕虜となり、
戦後になって日本に帰ることができ、
生き延びたことによる苦悩を描いた作品です。

劇中出てくる主人公の
「命の使い方」というセリフが、
いつまでも心の中に響きます。

当時の軍人さんたちは、
死ぬ覚悟で戦地に赴き、
生き延びて日本に帰ることのできた人たちは、
その命を戦後の日本でどのように使うかを
真剣に考えながら
生きていたのだなあと
感想を持ちました。

今の時代に生きている人々をみると、
定年退職して、
残りの人生を
人のために役立つことをしたいと、
何らかの奉仕の人生を送る人々と、
これまでは上司から命令されたことを
自分を殺してやってきたのだから、
それから解放された今は
十分な年金をいただいて、
旅行など趣味と娯楽の人生を送ろうと
考えている人たちにわかれます。

どちらの人生がよいとか、
悪いとか言いませんが、
戦後の軍人さんたちのような真剣さはありませんね。
  1. 2011/12/11(日) 04:12:06|
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大師だったらどうするか?

大師だったら、どうするか?
昨日のブログで、
レナードが怒り狂った
ラジオ番組のホストに対して、
どのようにすべきかを
内界のJ(イエスのこと)に尋ねると、
Jは「君ならどうする?」と答えます。

レナードは、
そのとき、
Jなら当然「許し」を行うはずだと考えて、
平常心を保ちつつ、
心の中でホストに対して「許し」を行います。

彼のこの姿勢は
私にクリシュナムルティの言葉を思い出させました。
クリシナムルティは
第二秘伝を受けたとき、
彼のマスターの言葉を与えられました、
マスターとは大師で、
その大師の言葉を記憶していて、
それをあとから正確に
書き留めました。

それらの言葉が
「大師のみあしの下に」という題名で、
竜王文庫から出ていますが、
その中に、
「大師だったら、
 どの様に考えるか」
という問いかけをして
問題に対処すべきことを述べています。

同じような考えを
アリス・ベイリーも、
どこかで述べていました。
彼女が問題に突き当たったとき
「大師だったら、どうするか」
と考えました。
その自問は、
目の前のトラブルに対処するとき、
私たちに落ち着きをもたらしてくれます。
今度、何事か困った問題が生じたときに、
忘れずに
「大師だったら、どうするか?」
という問いを
自分に発してみたいと思いました。
  1. 2011/12/10(土) 04:35:43|
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「不死というあなたの現実」から

ゲイリー・レナード著「不死というあなたの現実」から
著者のレナード氏は、
あるラジオ番組で、
番組のホストからインタビューを受けて、
それに応えて話している途中、
ホストがいきなり
「これ以上、一つがどうのこうのと言わないでもらいたい」
と言って怒り出したということを
上記の本の中に書いています。

どうしてホストが怒り出したか、
この本では明らかになっていませんが、
かつてヨガの先生と話していたとき、
先生が「治療を行うときには、
 治療エネルギーを送ろうとする相手の人と
 一つになることを想念する」
とおっしゃっていたことを思い出しました。

そのとき冗談に
「相手が若い女性のときは、
 抵抗なく一つになれますが、
 老人の場合には、
『愛する可愛い子よ』という想念を持つことに
 抵抗があるかも知れない。だが、
 そのようなことでは、
 治療は奏功しない』
とおっしゃっていたことを思い出します。

エゴという観点に囚われている人からすると、
「相手と一つになる」という言葉は、
穏やかではありません。

レナードは、
聖霊の観点から話をしていただけなのに、
ラジオ番組のホストは、
エゴ的観点、つまり、露骨に言えば、
肉体的観点からの言葉と勘違いしたのかもしれません。

もう一つ感銘を受けた点は、
レナードがその怒り狂ったホストから、
3時間の約束だった番組から、
2時間で区切られて、
番組を追い出されたにもかかわらず、
ホストに穏やかに接して、
彼を心の中で「許す」ことを
実践していることです。

その際レナードは内界のJ(イエスのこと)に、
怒り狂ったホストに対して、
自分はどの様にすべきかを尋ねます。

というのはラジオの影響力は大きく、
レナードの本の評判に関わるからです。

Jは内界から「君ならどうする?」と、
レナードに呼びかけます。

レナードはこのような場合、
Jなら当然「許し」を行い、
ホストに対してなんの敵意も待たないと考えて、
平常心でいました。

結果はそのラジオ番組を聴いた聴衆たちは、
レナードは自ら「許し」を実践する人だと知って、
レナードの本の売り上げは、
伸びたそうです。
  1. 2011/12/09(金) 04:19:37|
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観念の固定化

観念の固定化
昔大学の講師控え室で
私が知り合った女性講師の方は、
大学には内緒でしたが、
マザーテレサの信奉者の方で、
大学の外でお会いしたときには、
インドのマザーのアシュラムを訪れたときのことを
私にお話ししてくださいました。

ご自身はカトリックの信者であると
私に打明けられました。

お返しに、
私がサイババのアシュラムを訪れた時のことを
彼女にお話ししようとしたら、
「あんな手品師を信じているのですか?」と、
出鼻をくじかれてしまいました。

サイババが空中から様々な物体を取り出すことを、
ある本が手品師として紹介したのを、
真に受けられたのだと思います。

奇跡と称して、
人々を驚嘆させるようなことを行うことは、
正しい道を歩むことではないと
というような意見を言われました。

私はそれ以上サイババのことは、
彼女に話しませんでした。

手品のようなことをして、
人を驚嘆させ、
信者をひきつけようとする人は
神の人ではないとカトリックは教えているようです

サイババがそのような人たちに
理解されてないことは嘆かわしいことです。

人間の小さなマインドで
理解できる範囲を越えた現象は
起こりうるし、
そのような現象の背景となっている
人間に秘められている
「神聖なる力」を、
すべての人が普通に獲得しえることが
やがて示されるでしょう。
  1. 2011/12/08(木) 03:45:26|
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サトルとは、サをとること

「サトルとは、サをとること」
11月27日に浜松でミーティングが開かれ
それに参加しました。

参加者の中に、
若い方で、話しながら、
絶えず両腕の袖をたくし上げる
という変な癖をもつ人がいました。
のべつまくなしに話す人でした。

私がミステリー・サークルについて、
このような美しい映像が、
インターネット上では、
見ることができるのに、
どうしてテレビ局でとりあげないのだろう?
テレビ局は、
情報統制されているとしか考えられないと言いました。
そして「この情報操作は、
 ブラック・ロッジが働きかけているに違いない」
という話をしましたら、
その若い方が、
「この世界の支配の仕組みは、
 情報操作です」という話しから、
最後には、
この世界は夢に過ぎない、
宇宙も単なる夢です、
という過激な話になりました。

そのときは、
その方の話しは
ご自分のさとりを披瀝するための、
自己顕示だと考えましたが、
今になって考えると
真理を伝えようとされていたのだと思いました。

その方がフト漏らされた
「サトリとは、サをとること」という表現が、
どこかで聴いたことのある言葉だな
と考えていましたら、
友人がその言葉は、
東京の覚者の言ったことだよ、
と教えてくれました。
  1. 2011/12/07(水) 04:09:31|
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非二元論の教え

非二元論の教え
〔94〕求める者は見つける。
   叩く者に、扉は開かれる。
   (ゲイリー・R・レナード著「不死というあなたの現実」より)

「・・・苦痛をして、
 その当然の果報なる
 光と愛をもたらしめよ。
 魂をして、
 外なる形と人生と
 すべての出来事を統御せしめ、
 この時代に起きている事どもの
 底にある愛を露わにせしめよ。
 ・・・・・・・・・・・・         」
(アリス・ベイリー著「新時代の弟子道」の中の統一のマントラムより。)

私は、かつては、
自分の不運な人生を嘆き悲しみ、
どうして私はこんなに恵まれないのかと
不満の気持ちを抱いていました。

ゲイリー・R・レナードによる
トマスの福音書の中のJの言葉を読むと、
私の不運な人生は、私に光を「求めさせる」
隠れた意図があったのだと気づきます。

人は苦痛の中でのみ、
光を求める気持ちを持つことができます。

満足と幸福感の中では、
光と愛を求めることをするでしょうか?

レナードの伝えている道と
アリス・ベイリーの伝えている道は、
ともに神へと回帰する道です。

教えを混合するつもりはありませんが、
二つの道が同じ非二元論による神への道
であることをお報せしたくて、
敢えて二つの教えから引用しました。

DK覚者の本には、
福音書の中のイエス覚者の行いと言葉についての
秘められた意義の説明がありますし、
レナードの本には、
キリスト教会によって、
改竄される前の、
ありのままの
イエス覚者の言葉が紹介されています。
二つの教えを読みますと
真理は単純で、
永遠に不変ですが、
エゴ(偽我)が作り出す幻影は、
複雑で移ろいやすいものであることがわかります。
  1. 2011/12/06(火) 04:20:50|
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占星学とカルマ

占星学とカルマについて
友人が私に電話してきて、
インドの高名な占星術師に、
将来全財産を失うと
告げられたが、
占いはあったっていますか?
と言いました。

占いにかなりな金額を払って、
うれしいことを聴くなら、
損をした気にはなりませんが、
自分にとって不都合なことを教えられると、
損をしたような気分になります。

私は昔占星学を研究したことがありますので、
星占いは、或る人々には
非常に正確に惑星の運行が
その人の生活状況に
影響を与えることを知っていますが、
どういうわけか、
自分の場合には
あまりあたっていないことに気づいてから、
占星学に対する関心がなくなりました。

その理由は
アリス・ベイリー著
「秘教占星学」を読んで理解できました。

一般に人々は、
星の影響を意識することなく、
幸運と不運を経験します。
平家物語でいう「栄華盛衰」のままに
エネルギーの流れに応じた人生を過ごします。

少数の人々は、
星占いで言う宮の支配星が変化し、
惑星の影響よりも、
サイン(星座)の影響の方が強くなります。

人生経験を積むと、
幸運な状況においても、
有頂天になることはなく、
やがて衰退する時期が
未来に来ることを予期して、
自分の幸運を不運な人々と分かち合います。

そのような徳を積むことによって、
不運な星めぐりになったときにも、
それほで困難な状況に
落ち込むことはなくなります。

その人は星に支配されるのではなく、
星を支配するようになります。
これは、カルマを相殺する科学の
第一歩ではないでしょうか?
  1. 2011/12/05(月) 05:50:52|
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霊的意志と愛のエネルギー

霊的意志と愛のエネルギー
今日は少し専門的なお話しをします。
以前に「治療エネルギーは、
「意志の力ではなく、
 愛のエネルギーである」
というお話しをしました。

病気や怪我によっては、
その人の個人的カルマによるものではなく、
家族や人類全体のカルマの
分かち合いが原因となっている場合、
それを治療するための特別のテクニックや
科学的知識はなくても
「かわいそうに」という
心からの同情心によって、
その同情心が深い愛情に根付いているものなら、
奇跡的治癒がもたらされることがあります。

DK覚者は、
「秘教治療」のテキストの中で、
現在の人類はたとえば航空機が重力を相殺しているように、
科学的知識によって、
カルマ的負債を相殺することができる
と言っています。

青山圭秀氏著「アガスティアの葉」の中で
氏の過去世に作られたカルマ的負債を
「貧しい人々にご馳走を振舞うという儀式」によって、
相殺する話しがでてきます。

病気という牢獄が、
過去の三種のカルマの負債から造られるとしても、
飛行機が空中をとんでいるように、
科学的知識によって、
どのような困難な病気であっても、
その牢獄から抜け出す方法が発見できるはずです。

霊的意志は、
専門的に言いますと、
霊的トリアッドという神性エネルギーの、
最高位にあるエネルギーです。

魂意識に目覚めた人が
それを喚起することを学習していきます。
  1. 2011/12/04(日) 05:07:57|
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法則Ⅱについて

法則Ⅱについて
7月1日の「病気とカルマの法則」についてのブログ参照:
今日は、「秘教治療」のテキスト上巻49頁にある
法則Ⅱについて述べます。

この法則によれば、
病気は三つの影響力の結果であると言われています。
一つ目は個人的カルマ。
二つ目は家族のカルマ。
三つ目は地球自体のカルマ。

これら三つの影響から
病気が生まれますが、
現在は個人的カルマと
家族のカルマのせいよりも、
地球自体の欠陥のせいで
病気になる割合が大きくなっています。

というのは、
環境汚染が進んでいますから。

この環境汚染というのは、
もちろん人類全体の悪行と
言えば言えるかもしれませんが、
元はと言えば
地球ロゴス(この惑星のキング)の欠陥から
来ていると言うこともできます

不朽の知恵の教えでは、
「不完全なる神」と言う表現が
使われることがあります。

もちろん人間から見れば
遥かに完成された実在ですが、
サナット・クマラの顕示体である
地球ロゴスの体、即ち、地球の大地は、
超古代に汚された資料を受け継いでいるために、
その中にあって、動き、存在を持つ
すべてのものが
地球ロゴスのカルマを受け継ぐのです。
これを「罪悪の分かち合いという古代の法則」
(別の本では、
 悪カルマの分かち合いという古代法則)
と述べられています。

この法則は、
新しい法則「古代からの善支配の法則」
に変えなければなりません。
法則をとって代えるのは、
人間の霊的意志である、
と述べられています。

霊的意志とは
どのような意志でしょうか?

それが分かるのは、
福音書の中でイエス覚者が
「私の意志ではなく、
 御身の意志がなされますように」
とマントラムを唱えているときの、
そのマントラムによって
ヒントが示されています。

秘教治療において、
個人による治療ではなく、
グループによる治療を強調するのは、
「人格(個我)意志ではなく、
 霊的意志(主または覚者の操作するエネルギー)」を
活動させようとするものだからです。

次回は愛の治療エネルギーと
霊的意志について述べます。
  1. 2011/12/03(土) 04:15:19|
  2. 秘教治療
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