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秘教治療

アリス・ベイリーの秘教治療を紹介しつつ、ヨガの先生の教えを回想する。霊治療、光線エネルギーのまったく新しい知識を織り込んでいきます。エーテルについての知識を広めることを目的としています。

白いドレスでメンタル体を装うには

わが愛する○○へ
これまで苦労をかけたね
ほんとうにすまなかった
あなたという存在が身近にいなかったら
今の私とはならなかったよ
これまでのかたくなな私を許してください
ちょっとてれくさいけれど
お詫びの意味であなたを強く抱きしめたい
どうか私の胸の中で安らいでください
そしてともにあの大いなる方に思いをよせよう
後悔の涙は喜びの涙に変わる
私たちはあのかたの愛に包まれていることを知ったのだから

メンタル体を装うには
メンタル体を白いドレスで装うには
まずダイエットとあごの力をつけねばなりません
ダイエットはとてもシンプルな方法がありますが
それはここでは言えません
直接お会いしてお伝えしましょう
あごの力を鍛えるには、日ごろの鍛錬が必要です
それもお会いして伝えます
秘密は、頭で吸収しようとするのではなく
奉仕するための行動です


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  1. 2010/10/31(日) 06:31:03|
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ないしょのはなし

「ないしょ」の話
あなたの名前は「ひかる」です
それはあなたがひかりをあつかうことになるからです
いまから秘密のわざを伝えます
「秘密をウェブで伝えるとはなんと大胆な!」
とあなたのお母様は思うかもしれませんが
大丈夫です、魔法のリングを持たない人には、
何のことかさっぱり分かりません
ところであなたは魔法のリングをお母様からいただいていますね?
あなたの頭の上に、大きな球があります
見えなくてもだいじょうぶ
そこからあなたの頭頂に
とてもまぶしいひかりがおりてきます
そのひかりはあなたの見えない体を通過して
さらにあなたのハートへと、おりていきます
以上を時々練習してください
その光は、やがてあなたの心の目にはっきりと見えるようになるでしょう
魔法のことばとつづきはこんど伝えます
  1. 2010/10/30(土) 05:21:25|
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東方の三博士

東方の三博士
あなた方は「東方の三博士」。
あなたは言う、「三人ではありません」と
いえいえ、あなた方は三人です
三つの「星」に導かれ、あなた方はやってきた
あらたな使命を自覚した「キリスト」たちが生まれてくる
そのようにして予言は成就される
「キリスト」たちは大いなる存在のもと
統合されて、その使命を果たしていく

喜びの歌
私は自己憐憫の感傷にひたっていた
そして涙を流していた
またあるときは、お腹のそこから突き上げてくる激しい感動の涙にくれていた
偉大なる方たちはそのような感情がお嫌いです
祈りによって、そのような感情を真の感情へと変えることを教えられる
温かなぬくもりが、お腹から胸へ、そこから喉をとおって、至高の部屋へとのぼっていく
ああ、なんという平安が私を包んでくれたことか
  1. 2010/10/29(金) 01:48:13|
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独自の道

「独自」の道
天使はいう、あなた『独自』の道を行きなさいと
私は暗闇の中で、ちっぽけな自分をあわれみ泣いていた
道を見失い、絶望の中でもがいていた
しかし今、大いなる方は天使をつかわし
私を愛で包み、そして私に告げた
『独自』の道を行きなさいと。
すべては、大いなる方の計らいによって仕組まれていたのだと
私は知ることができました
私は今、光の一点として立つ
試練をお与えくだいましてありがとうございます。

新しい微笑み
天使のことば:「あなたが人生の重さで沈むような感じがするなら、あなたは道を外れています。自分の荷を軽やかに運ぶなら、そのとき自らの道を歩いていることになります。すべてはあなた次第です。人生を完全に生きることによってのみ、この新しい微笑みを見つけることができるのです」(「天使たちとの対話」からの引用。
私は「新しい微笑み」を見つけよう
希望の光が前方に見える
あの方の愛を人々に伝えよう
もはや誰も犠牲にすることなく
軽やかに道を進んで行こう
  1. 2010/10/28(木) 05:20:00|
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天使の翼

「もっと光を」
これはゲーテの辞世のことば
このことばが私の心の中で響きわたる
そして私は蛾のように光を求めて突進した
あまりに勢いづいて、ついに光を見失った
かつて妻と二人して設楽の向こうの茶臼山のキャンプ場で
小石を藪の中の祠の前においてくるという肝試しに参加したとき
山は深いもやに包まれていた
そのときに思ったことは「今まさに私たちは霧のなかをさまよっているのだ」と
懐中電灯を手にしていたが、潅木をぬってすすむ迷路のような小道では
道に迷うは必然のこと、心細さに思わず口に出たことばは
「どうか神さま道をお示しください」。
そのとき前方にカンテラの灯がぼんやりと目にはいった
ああ、行くべき道を光が教えてくれる
闇夜の明かりこそ、なんという安心感を与えることか

霊の翼
「天使の翼をお与えください」と私は祈りました
「あなたにはすでに翼が与えてあります」という答えがかえってきました
翼がすでに与えられているなんて、どういう意味かと思っていたら
その意味が「天使たちとの対話」の中で明かされていました
友よ、翼は私だけにあるのではなく、あなたにもすでに与えられているということがわかり
私はとてもうれしくなりました
それで、私は毎朝この翼を使って、大空に羽ばたく練習をしています
あなたも毎朝欠かさずに練習して、いつの日か、その翼を使って
遠くまで飛んでいきましょう
  1. 2010/10/27(水) 01:48:48|
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宝石の取り出し方

宝石の取り出し方
宝石を種々雑多なガラクタからとりだすには
注意深さと慎重さが必要です
宝石は、いかにもそれらしい雑多な光ものの中に混じっていますが
決して一番に目立つものでもありませんし
特別に輝かしい光を放っているわけでもありません
それを見つけるには、あなた自身の心の中に
必死に求めるものがなければなりません
さて、それをガラクタの中から取り出すのにも、慎重さが必要です
急いでそれを他の人に自慢して見せようと思ってはいけません
まず堅固な宝石箱を作りましょう
宝石箱の材料を私がそろえてさしあげよう
あなたはすでに宝石を所持していて
他の人が宝石を見つけるお手伝いをしようとしています
そのようにして、あなたの宝石はますます輝きを増し
やがては類まれなる永遠の輝きを得ることでしよう
  1. 2010/10/26(火) 06:02:44|
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あなたはバラのかおりがする

あなたはバラのかおりがする

あなたの姿がみえているわけでではないけれど
あなたの存在をいまも感じることができるのは
あなたと別れた今もなお
バラのかおりが確かにするからです
そのかおりは決して鼻ににおうものではありませんが
私には明らかに感じることができます
におわなくても、ハートに感じるばらのかおりは
だれものあこがれのまと
ハートの奥にしまわれたそのばらのかおりに気づくには
自分のハートにもばらのつぼみをもたなければいけませんね

私は19歳だった
私は盲腸の手術をして
入院していた
その病院のベランダからふと下をみると
隣の家の玄関脇は
一面のバラの生垣が作られていて
そこに此処かしこ大きなバラの花が咲いていた
しばらくすると玄関からご婦人が剪定ばさみを手にでてこられ
真っ赤なバラはなかったけれど
白やピンクのバラの花をいくつか切り取り新聞紙に包んでいた
私はバラの花をめでるわずかなことばを書いた紙ひこうきを折ってとばすと
それを読まれたご婦人はバラの花をいくつか摘んで
私たちの病室に届けてくださった
病室はパッと明るくなって私たちの誰もの顔が明るくなった
あの時のばらの花が忘れられない
今は病室ではなく自宅からバラの花をめでるメールをとばそう
私のところにも神さまからバラが届けられる
  1. 2010/10/25(月) 06:52:36|
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偉大なる方
私は間違っていました
あなたは私が取るに足りない人々の一人に違いないと思っている姿で現れました
そのようにして、あなたは私の考え方の間違いを正されたのです
取るに足りない人など一人もいません
すべての人がそれぞれの役割を演じているということが、あなたの姿を目にした瞬間に分かりました
だから私はどんな人も区別することなく、兄弟の一人として迎えます

偉大なる方へ
あなたを目にした瞬間に
わたしのハートには
暖かなぬくもりと輝かしい明かりがともりました
居合わせたすべての人々の心に秘めたわだかまりをあなたはとりはらい
私たちを楽しませて、愉快に笑い興じさせました
あなたのお話は私たちの注意をそらせず、時間を忘れて一心に聞き耳をたてました
またいつかお会いできるでしょうか? 偉大な方よ
  1. 2010/10/24(日) 04:03:46|
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創造の喜び
光よ、やってこい
ことばとなって私の心に響きわたれ
私の心は喜びにふるえ
ことばの乱舞を楽しもう
おお、この喜びはなんだろう
私が初めて経験するものだ
暗闇に光がさし
過去の苦悩が喜びに変わる
私は新しく生まれ変わった
いとしい方の御前に出る前に
涙の跡をぬぐいさろう

微笑みは暗闇を照らす光です

冷笑でなく、高笑いでもなく、あのモナリザの微笑みを
持っているあなた
あなたの微笑みがこの重荷を軽くしてくれる
坂道を重い荷車をひいていく私にあなたはそっと微笑んでくれた
その瞬間、なんと荷車は軽くなったことだろう
私の足は軽やかに、坂を登っていく

  1. 2010/10/22(金) 22:49:40|
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私の手は開かれている

私の手は開かれている
おさなかった私
私の手の中にあるものすべてが私個人のものであると思い違いをしていた
私は役立てることのできない多くのものを集めていた
私は間違っていた
今やすべてを失った
私は裸となったのだ
主は私の間違いをただすために、すべてを奪い去られた
主は愛の使者を遣わされ、閉じていた私の手を開かれた
主よ、私の手は開かれています
もう言うまい、私とあなたと
満たされていない者に十分に与えよう
願わくば、私の手が主のお役にたちますように

「天から声が聞こえてくる」
厳しい声が聞こえてくる
「決意しなさい」と。
何を恐れることがあろうか
唯一なる方が守ってくださる
心に絶えず響かせよう
「ジュ・クルワ、ジュ・クルワ・・・」。
あのシャンソンが心に響く

  1. 2010/10/22(金) 02:51:45|
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「信」という名の宝石

突然ですが、心境がかわりました。
これからは、詩で表現します。

「信」という名の宝石
私は見た、あなたの指にきらめいているものを
それは、「信」という名の宝石だった
決して目立つ宝石ではありませんが、あなたのどんなに着飾った姿よりも
その宝石にまさる美しいものはありません
あなたが何を身につけようと
それはあなたの宝石の輝きをますばかり

「霊のドレスをあなたに贈ります
いとしい人よ、あなたのハートは愛に満ち
あなたの周りに集う人々はその暖かさを楽しむ
遠くからながめている私のハートにも、その暖かさが伝わってくる
あなたに白いドレスをプレゼントしたい
あなたはそれをあなたのメンタル体にまとい
いつの日か、偉大なる方の御前に立つだろう
私からのドレスが決して時代遅れとならないデザインであると信じています
  1. 2010/10/21(木) 10:42:54|
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夏の思い出(1)

夏の思い出を語ろう。私が先生宅に月1回のペースで訪れるようになってから、1年後のことであるが、先生のところでヨガを学ぶ若い人たち10人ほどが先生といっしょに兵庫県の香住というところへ海水浴にいった。日本海のひなびた海水浴場だった。先生は海辺の育ちで、若い頃は漁師にあこがれていたぐらいだから、釣りの話に余念がなかった。明朝早く、釣り船をチャーターして釣りに出かけるために、同乗者を募りたいので、ヨガの話よりも釣りのおもしろさをしきりに話された。私はどちらかというと、釣りにはあまり興味をもたなかった。他の人たちも釣りには興味なさそうであった。
春日井市に住む友人が先生といっしょに近海にある貝殻島へ釣りをしにいくと言い出したので、結局は全員が手漕ぎボートを借りて、貝殻島へ釣りにいくことになった。というわけで、2日目は海水浴よりも、釣りをして1日を過ごした。大きな岩の上に登ると、すぐ下にベラやキスがうようよ泳いでいる。入れ食いだと思った。釣りにはあまり興味のなかった私でも俄然やる気が出てきた。えさのゴカイをつけて仕掛けをたらすと、最初はすぐに食いついたが、しばらくすると魚はたらしたえさにまったく見向きもしなくなった。魚もばかではないということが分かった。目の前に魚の姿がみえているのに、まるで釣れない。イライラしたが、それでも釣り糸をたらし続けた。結局最初の数匹だけが釣果となった。まる一日つぶしたのに。
私たちが釣った魚は民宿で料理してくれた。そのおいしかったことは忘れることができない。私がふだん食べている魚はそれに比べると腐った粕のようなものであると知った。
  1. 2010/10/21(木) 06:29:25|
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不思議な体験

私は、このブログの初めのほうで、治療の指導を受けたヨガの先生の話をしたが、その先生の家に初めて泊めていただいたことを今懐かしく思い出した。
二十代の初め、大学院で学びはじめた頃に先生と出会った。当時先生は、○市のある農家の一軒屋を借りてそこに、身の回りのお世話をするご婦人と二人で暮らしていた。指導を受けるようになった最初の頃は、いつも同僚たち三人で先生のお宅にお邪魔してお話を聞くのだが、そのうち私一人で訪ねるようになった。そして、先生は一日中ゆったりとヨガのお話をされて、ふと「今晩は、泊まっていきなさい」と言われた。
なんという歓迎ぶりだろう。単純な私は、躊躇することなく、「はい」と返事して、その日は先生のお宅にとめていただくことになった。
先生の家の風呂は、今はめったにお目にかかることのない五右衛門風呂だった。やじきた道中の物語に出てくるあの風呂だ。足の下にいきなり風呂釜 があって、下から火をくべると、その釜が熱せられて、直接足にあたるので、やじさんときたさんは、風呂のふたを湯船の中に沈めようとすると、浮き上がってし まうので、それをやっとのことで沈めて、そのふたにのって熱さに耐えるという話が書かれている。私が体験したときは、風呂釜は確かに熱かったが、耐え難いほどではなく、ジンジンと振動する感じで、暖かさが体全体に伝わってくるようだった。湯冷めしにくく現在の便利になりすぎた風呂では体験できない味わい深いものだった。
 本当はその日に体験した不思議な出来事を書くつもりだったが、いきなり五右衛門風呂の話になってしまった。不思議な体験は次回に回させていただく。

先生のお宅に泊めていただくことになった話の続きである。
風呂から上がって、少しやすんでから、奥の部屋に入った。布団は、お客さん用のとても きれいな布団だった。自分がこのように歓待されるのは初めてのことで、思わず涙が出そうになったが、そこはジッと我慢した。
気持ちが高揚していたのかどうかわかないが、寝床についたものの、すぐには眠りに入ることができなかった。横向きに耳を枕にあてがっていると、どこか遠くで、ざら板を踏んでいる音が聞こえてきた。それどころか、学生たちがそこで靴を脱いで、それを下駄箱に入れて、自分たちの部屋に戻っていくような様子が、ざら板を踏む音とともにありありとしたイメージとして眼前に浮かんでくる。それがなんであるかは翌日の先生のお話を聞いてわかった。私が昨夜の夢の中のようなことを体験したことを先生に告げると、先生の家から二百メートルほど離れたところにお寺さんが経営している学生寮があって、その寮の学生たちの様子が音を通して伝えられたのだろう、とのこと。それを聞いて、人間には不思議な能力が眠っているのだと思った。そして、そのような能力に気づくことができた先生のお宅は不思議な空間であると思った。
  1. 2010/10/20(水) 05:11:50|
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ヨガの教え

私は二十代の時に、ヨガに興味を持ち、先生の自宅で教えて頂いた。教えと言っても、ヨガの教典の話でもなく、先生が実際になされた治療にまつわる体験談というものだった。
 私は一ケ月に一度ぐらいのペースで、先生の自宅に訪れ、先生の話を伺った。先生はよく「立ち上がらなければならない」ということを仰っていた。当時は、その意味が正直よくわからなかった。「立ち上がらなければならないと言ったって、もうすでに立って歩いているではないか」という思いが私の心の中で響いていた。先生の言う「立ち上がる」とは、私たちが立って歩いていることではなかった。それから、よくこんなことも言っていた。「褌を締めて、取り組め」と。
 「褌を締めて」とは、その時も初めの頃はよく意味がわからなかったが、やがてその意味がはっきりと分かってきた。ヨガのヤーマ・ニヤーマを御存知の方は、この意味がはっきりとお分かりのことと思う。
 それから、先生はある日、私に「エーテル体」(これはアリス・ベイリーの「テレパシーとエーテル」という題名の著書の抄訳であった)と題された小冊子を渡して、この本を熟読しなさいと言った。しかし、当時の私にはとても内容が難しく、書かれている内容は、おぼろげにしか分からなかった。その中の分かった部分を少しご紹介したい。

 1.人間の肉体はエーテル体に従ってできている。
 2.肉体よりもエーテル体の方がはるかに大切である。
 3.人間はアストラル体(感情体)に意識を集中している。
 4.エーテル体に意識を向けていない。
 5.一切の形態はエネルギーより成る。
 6.宇宙に存在するものは、太陽系も惑星も、人類を含む自然の諸王国(人間王国、動物王国、植物王国、鉱物王国)もすべて、微妙で触れえぬが実在するエネルギー形態を持つ。それをエーテル体と呼ぶ。エーテル体は、その外面に見られる物質体を、人間の場合は肉体を支配し、統御する。
 7.我々は一人残らず地球大生命の意志エネルギーの中に生きている。だから、地球大生命が意識される七つの世界のうち、少なくとも一領域から来る力の糸が循環し織りなして、エーテル体を構成する。
 8.・・・・・」

 とまあ、このようなことが書いてあるわけだが、日常的常識的な思考の領域から、遙かにかけ離れた内容だから、初めて目にしても、チンプンカンプンというのが正直なところだった。 
その後、先生がお話なさっている難しいことは、大抵はこの小冊子に示されていることだったと気づくようになった。つまり、先生はこの小冊子の内容をすべて暗唱されていた。
 先生のお話を伺うかぎりでは、先生は昔の尋常小卒の学歴しかなかったから、これは驚くべきことだった。私は大学で学んでいたから、教養という点では、先生を越えていると自負していた。しかし、先生は私が読んでもよく理解できない、「エーテル体」という小冊子を暗唱されるほど熟読吟味されていたのだ。

  1. 2010/10/19(火) 05:28:40|
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親鸞の教え

親鸞は「教行信証」の中で「唯可信心高僧説」ということを述べている、と先生は語った。
 親鸞は浄土真宗を開いた教祖であるが、その浄土真宗は北陸地方に広く伝わっている。先生は福井県の出身で、先生のご両親も浄土真宗の信者さんだったとお聞きしたことがある。この「唯可信心高僧説」という言葉も、ご両親から伝え聞いたことかもしれない。
 意味は、高僧というのは、覚者のことで、その方が言われることは、私たちの知性によっては納得しがたい内容を含んでいる。証明不可能なこと、日常生活の常識からは理解しがたいこと、世間にあまり知られていないことが多く含まれている。
 アリス・ベイリーを通して24巻の教えを伝えたJK覚者は、ある本の前書き部分で、次のように述べている。
「・・・伝えた教えが世界で働く人々の啓発されたマインドから反応を呼び起こし、直観の閃きを招くならば、その教えは受入れてもよいであろう。しかし、そうでなければ、受けいれるべきではない。語られていることが結果として確証に結びつくならば、もしくは、類似(相応)の法則のもとで照らして正しいと思われるならば、それは申し分のないことである。しかし、そうでないならば、言われたことを受入れてはならない。」(アリス・ベイリー著 「新時代の弟子道」の前書き「チベット人の言葉からの抜粋」から。AABライブラリー刊)
 世間には、多くの書物が出回っている。その中には、単に推測されたことがら、権威ある学者の受け売りで、出展を明らかにせずに、さも自分で着想したように述べ、人々を驚かす世間の噂話に類することを真理と称して本を書いている人がどれほど多いことか。
 先生は、そのような内容の本を、遠ざけるべきことを言われた。そのような内容のことがらで、頭の中を一杯にしてしまうと、高僧説である覚者の教えがなかなか入っていかないからである。
 自分の知性の好奇心の赴くままに、多読するというのが、私の学生の時からの習慣であった。しかし、多読によって、自分の中に真理のエッセンスが蓄積されてくるかと言えば、決してそうはならない。読んだ多くのことは、忘れ去られ、数年経つと、それが書かれている本を読んだことさえ忘れている。
 知性(マインド)の消化吸収の仕組みは、肉体の消化吸収の仕組みと似ている。肉体も食べたものをよく噛んで、腹八分にするなら、しっかり吸収してくれる。
 マインドも、内容の消化吸収能力をオーバーするほど読むことを避けて、自分で実践できるものに限定して繰り返し反復して読むなら、マインドは健全に発達する。
 ジャンクフードのように、栄養価のあまりないものを、食欲の赴くままに、絶えず食すると、胃腸が弱る。
 同様に、真理とはほど遠い、感情要素の多い、単なる噂話を受け入れると、頭の中はゴラャゴチャしてくる。あまり本を読まない生活を送って、マインドを空腹にすることも大切である。

  1. 2010/10/18(月) 05:12:21|
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三つの奇跡

先生は、十代の頃、たぶん十二か十三ぐらいの頃だと私は想像しているが、村の寄り合いに出席して、ある兵隊さんの体験話を聞くことがあった。その兵隊さんは、先生が子供のころに住んでいた村の出身者で、アメリカに行ったときの体験談を語った。村に帰ってきて、アメリカ見聞の様子を、村人たちに話すのであった。今の町内会にあたる、村の寄り合いというものであろう。その寄り合いで、村に帰ってきた兵隊さんから、アメリカ旅行の話を聞いた。その話しに出てくる珍しい光景やら、風物などの話を、「自分もアメリカに行ってみたいなあ」と思いながら、口をポカーンと開けて、ただ黙って聞いていたそうだ。
 なんの条件づけもなく、行けるかもしれないとか、行けないかもしれない、とか考えることなく、ただ「行ってみたい」という思いと伴に、その兵隊さんの話を聞いたということだ。
 その後、まもなく、海軍の兵士募集のポスターを村のどこかで見かけた。それを見て、自分もあのアメリカ帰りの兵隊さんのように、海軍の兵隊さんになろうと考えたそうだ。
 役場に行って、受付の人に「自分は海軍の兵士募集に応募しようと思います」と申し出て、応募書類を作ってくれるように頼むと、受付の人は先生の姿を不信げにまじまじと見て「お前が?」言って、「やめといたほういい」とは言わなかった。「一応は、申込み書類を書いてやろう」と言って 書類を作ってくれたが、その中には「丙種合格」という印が押してあったそうだ。つまり、甲、乙、丙と三種類の候補生に分類されるのだが、丙種合格というのは、合格できる可能性の最も低いものだった。役場の人から見れば、先生の体格は痩せ細っていて、とても合格できそうにないと思われたようだ。しかし、それでも「丙種合格」という印を押した書類を作ってくれたことが、先生にとっては奇跡的なことだった。
 それから暫く後に、海軍から面接官がやってきて、希望者の中から、実際に入隊できる人を選抜した。その面接官は海軍の上等兵で、先生に「どうして海軍に入隊を希望するのか?」と質問した。先生は「村から海軍に入隊して、アメリカに行ったことのある人の話を聞いて、自分もアメリカに行ってみたいと思いました」と答えたそうだ。それを聞いていたその面接官は、先生の話をじっと聞いていた。そして顔を見たまま、丙種合格という印の上に×をつけて、その横に甲種合格の印を押したそうだ。これが、第二の奇跡だった。
 広島の呉にあった海軍兵学校で一年ほど訓練を積むと、各練習船から20名ほどを選抜して、アメリカに行くことができた。そのアメリカ行きの練習船は確か「鹿島」という名前だったと思う。
 各練習船には、海軍の上等兵が新参兵を見るために、船に宿泊にやってくる。先生がその上等兵の接待係となったそうだ。朝、洗面用具とタオルをもって船室に行き、その監督官が歯を磨いて顔を洗っているあいだ、タオルを持って側に立って待つ。監督官は「○○、お前は アメリカ行きの鹿島に乗船することを志願したか?」と尋ねた。「はい、自分は志願しました」と先生は、応えた。その時、監督官は歯を磨きながら、頭を傾けつつ「うーん」と呻き声を出された。
 後日、アメリカ行きの「鹿島」に乗船が許された初年兵の名簿が張り出された。その中に先生の名前があった。
 先生は、ご自分の成績から各練習船内の20番以内には、とても入れないと思っていた。それでアメリカ行きは無理だと考えていた。監督官が特別に名簿にのるように計らってくださったのだ。これが第三の奇跡。
 この三つの奇跡を通じて、先生はアメリカに行くことになるのだが、この話は、 人が無条件に、疑問を持たずに「こうなりたい」と考えると、そのように環境が自然と整っていくということをおっしゃりたかった。
 つまり、私が治療のノウハウを知りたいと思ったとき、そんなことはとても無 理だと考えず、「自分もそのようになりたい」とただ単純に思えば、いつかはそのような環境が整ってくるということを伝えたかったのだと思う。
 「エネルギーは思考にしたがう」。これが第一の秘教の教えである。

  1. 2010/10/17(日) 04:47:24|
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先生宅への最初の訪問

月一回の、その集会に何回か出席するうちに、先生は、私たちを自宅に招待してくださった。「一度遊びにいらっしゃい」と、声をかけてくださったのである。
 私を入れて四人の若者と少し年配の女性の方が、先生の招待を受けたが、その内の三人が一緒に先生のお宅に訪れた。
 先生の家は、岐阜県○市にあった。名古屋からほぼ2時間の距離である。私と○○は、春日井に自宅のある△△宅に集合して、それから○市まで一台の車に便乗してでかけた。
 先生は、私たちが家の近くまで行くと、太い道路まで出迎えに出ておられた。「どうして私たちが到着する時刻がわかったのだろう」とその時、私は思った。
 春日井から○市まで1時間半ほどかかるが、到着予定時刻が前もって連絡してあったわけではない。表で相当長い間、私たちの到着を待たれたのではないだろう。私たちは昼食を先生の家で御馳走になる予定であったが、12時をとっくに過ぎていた。予定時間よりも、だいぶ遅く到着したので、待つとしたら、長時間待たなければならないのだが。
 先生の家は、茅葺きの古い農家を借りたものだった。土間があって、家の前には20坪ほどの庭があった。
 早速、座敷にあがって、すでに用意してあった昼食の膳を前にした。遅れた失礼をお詫びする間もなく、「お腹がすいているだろう」と声をかけられて、すぐに食事になった。その料理の美味しいこと、美味しいこと、高級料亭の懐石料理のような御馳走だった。
 その料理は先生の奥さんではないが、兵庫県の三木市から先生に従ってついてこられた「おばちゃん」と、お呼びすることになる、女性の方が作られたものだった。
 食材は質素であったが、御飯が日頃家で食しているものとは一味も二味もちがっていた。思わず「美味しい」という言葉が出て、御飯のお代わりをしてしまう。他の人の口々から「美味しい、美味しい」という言葉が出る。先生は、「ここにきて、食事をする人は、みな美味しい、と言ってくれる」と言われた。何が違うのだろう。
 食事の後には、りんごや抹茶とともに、饅頭をいただいた。そして、のんびりと、庭に出て花を愛でたりした。
 今考えると、あのようなのんびりした気分を味わうことは、以後なかった。とくに堅苦しい話をするわけでもなく、福井の実家で過ごした先生の子供の頃の話を聞いて過ごした。先生は、いたずら好きな性格で、種を植えたばかりの他人の畑にはいって、畑を踏み荒らしたために、両親からこっぴどくしかられ、お菓子を一つもらって、農具小屋にとじこめられ、日暮れまでそこから出してもらえなかった、という話を聞いた。
 その農具小屋は野地板で囲まれていた。板の間に節穴があり、その節穴から一筋の日の光が漏れていた。太陽が傾いていくにつれて、節穴から漏れてくる楕円形をした光の足がすこしずつ移動していった。その光が照明の光のように土間に当たる所に、お菓子をおいて、太陽が移動していくのにあわせて土間を移動して遊んでいた。光のあたる所が最初はすこしずつ移動した。やがて、その移動が急激に速くなって、一気にスーと移動していった。そのとき、先生はお菓子を光の移動先に移すことができず、時間の感覚が無くなっていくのを感じたという話をされた。それは神秘体験の一つであった。
  1. 2010/10/16(土) 05:20:03|
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エーテル体の教え

「エーテル体の状態が人を病気に罹りやすくするか、病気から保護するかする。エーテル体は、人を衰弱させる外からの影響即ち感染病の要因に対する抵抗力を与えるか、生来的なエーテル体の弱さのために抵抗力を持つことができないかのいずれかである。」

これは、以前のブログで紹介したアリス・ベイリー著「エーテル体」の中の文章である。
以前に紹介したように、このエーテル体を経由するエネルギーはさまざまだが、現在の人類は大勢の人が感情レベルのエネルギーであると示されている。感情界(アストラル界)の下位に物質界、その上位にメンタル界、ブッディ界、アートマ界、等々の界がこの世つまり、物質界を構成しているエネルギーのレベルが七つある。そして、私たちは物質界のうちの固体と液体と気体の三界のみを肉眼で見ている。この物質界のエネルギーも七種類に分けることができ、下位から固体、液体、気体、そして、第四エーテル、第三エーテル、第二エーテル、第一エーテルという風に区別される、と示されている。
固体から気体までは、私たちはなじみのあるものだが、エーテルの世界については、これまでほとんど知られてこなかった。
このエーテルが肉体の健康に重要な影響力を持っているという理解が、治療においては大切であると述べられている。

  1. 2010/10/15(金) 04:57:54|
  2. 秘教治療
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天河神社での瞑想

これは、45歳ぐらいになってからの体験である。私は、新聞販売店に勤めていた。そこの従業員の方といっしょに奈良県と和歌山県の県境にある天河神社におまいりに行った。夜10時ごろ出発して、現地には夜明け前の3時ごろに到着した。まだ早かったので、少し車の中で休んで、夜明け少し前に拝殿に行った。拝殿で二拍一礼しようとすると、「ドン」という太鼓が鳴った。こんな深夜、誰もいないはずなのに、不思議だなあと思っていると、友人が「俺たちを歓迎してくれている」というようなことを言った。それから、私たちは、拝殿前に作られた奉納殿の階段に腰かけ、目を閉じて瞑想した。目を開けているときには、感じなかったサワサワと風が頬をなぜるような空気の流れのようなものを感じた。しかし、目を開けると、何も感じない。目を閉じて瞑想状態になったときだけそれを感じた。しばらくすると、肉体感覚がなくなって、意識だけが空中に浮かんでいる感覚になった。意識がすべてと溶け合っている感じであった。
やがて夜明けとなり、遠くで小鳥たちのさえずりが聞こえてきた。それが外から聞こえるという感じではなく、私のお腹の中から聞こえるという感じであった。そればかりか、自転車が道を通っている音、車が走っていく音が遠くから聞こえてくるが、それらの音が自分の外の出来事ではなく、自分のお腹の中から聞こえてくるような感じがした。隣に腰掛けている友人とはともに一番外側の皮で、互いにつながっている。要するに、普段の感覚で言えば、内と外が逆転している感じだった。全宇宙が私自身で、この肉体は私の一番外側の皮に過ぎないものであるという感覚だった。
 そのとき、拝殿前に新たに人がやってきて、さくさくと砂利を踏みしだく音で、現実にもどり普段の意識となった。ほんの一瞬の出来事だったが、このときを境に人生観がまったく変わってしまった。
  1. 2010/10/14(木) 03:45:32|
  2. 秘教治療
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ブログの再開

私のブログを読んでくださっているみなさま、お久しぶりです。やっとインターネットができるようになりました。お休みしている間に多くのことを体験しました。これもブログの題材にしたいほどですが、以前の「世にもまれなブログ」の続きを書いていきます。これが終了したら、次のテーマを考えます。どうか、これまでのご無沙汰をお許しください。
  1. 2010/10/13(水) 21:05:39|
  2. あいさつ
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ただ今、引越し中で自宅でインターネットできる環境にありません。それでブログをお休み中です。環境が整いましたら、ブログを再開します。これまで続けてきた「死の恐怖を克服する」と「世にもまれなブログ」の続きを書きます。その後、テーマを見つけて書き続けます。サイトに訪れてくださった皆様、よろしくお願いします。
  1. 2010/10/06(水) 12:33:35|
  2. あいさつ
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