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秘教治療

アリス・ベイリーの秘教治療を紹介しつつ、ヨガの先生の教えを回想する。霊治療、光線エネルギーのまったく新しい知識を織り込んでいきます。エーテルについての知識を広めることを目的としています。

ホテルの朝、チェンナイ空港へ

翌朝七時に飛び起きた。睡眠時間は五時間ぐらいである。家内を起こして直ちに荷作りをする。もう朝食が始まっているはずである。急いでホールに行くと、すでに集まっていた。昨日までの服装とうって変わって皆真夏の恰好である。太田さんは見違えるほどである。インドの民族衣装が非常にさまになっている。そして彼女は生き生きとしている。日本にいるときとはおおちがいである。彼女はおそらく四十代の女性であるが、十歳くらいは若返っている。くりくりした丸い瞳の顔が少女のように輝いている。
 家内は、初めてのインド旅行なので、皆と同じ衣装を持ち合わせていない。少し気落ちしている。
 レストランはバイキング方式であった。これまでの機内食と比べると格段に美味しい。野菜をカレー風に煮たもの、サラダ、パスタ、焼きたてのパン、マンゴー、パイナップル、りんご、バナナなどの果物が豊富であった。腹一杯食べてしまった。
 八時にバスに乗り込んでチェンナイ空港にいく。
 チェンナイ空港から、インド国内線で四十五分、バンガロール空港へ移動。

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  1. 2010/07/31(土) 03:51:53|
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そしてチェンナイへ

 クアラルンプールからチェンナイまでの飛行時間はおよそ三時間四十分くらいである。時差が一時間ある。出発時間が大幅に遅れたので、チェンナイ到着は深夜の一時半ぐらいだったと思う。
小規模な空港で、こんな深夜だというのに、出迎える人たちでごった返している。頭にターバンをまいた人、ひざの辺りまでのスカートとも腰巻きとも言えない布を巻き付けた男性たち、口にチョビ髭を蓄えているが、頬はこけて、あまり十分に食べていないように見受けられる肌の黒い人たちの、物欲しそうな目付きに圧倒される。彼らは荷物運びや、タクシーの運転手たちである。その中に子供たちもまじっている。彼らは物乞いである。
 入国審査を受けるとすぐに、バスに乗りこんだ。日本語の達者な若者がガイドとしてついていた。彼はタミール人で、日本には一度も行ったことがないという。しかし、その達者な日本語に、私は舌を巻いた。山内さんがバスの中で教えてくれたが、タミール語は、文法構造が日本語と似ているという。語順が日本語と同じなので、単語さえ知っていれば、並べるだけで通じるそうだ。
 バスのドアが壊れかけていて、タミール人のガイドの一人がそれを布で支柱にくくりつけていた。日本では考えられないことである。昭和三十年代頃に見かけた旧式のバスである。しかし、これでもインドの人たちがぎゅうぎゅうに詰められて乗っているバスに比べれば雲泥の差がある。彼らのバスの座席は粗末な木製で、窓ガラスも嵌められていないし、エアコンももちろんない。
 街灯の明かりのもとで見る異国情緒たっぷりの町には、ところどころにゴミの山が作られている。ペンキのはげかかった看板とシャッターの降ろされたせまい入口の店がひしめきあっている。
 道路を走っている車は、二輪車が多い。どの車もクラクションをしきりに鳴らす。ソテツ、椰子の木、名前は分からないが胡椒の木やユーカリの木に似た、熱帯地方特有の木々の並木を通りすぎて、四十五分ほど走って、プリーズ・ホテルに到着した。
 日本では平均的ホテルというところだが、インドでは高級ホテルの部類に入るだろう。部屋に入ると、さっそくシャワーを浴びた。摂氏五十度ぐらいの熱湯は出るが、水がでない。水の栓をひねろうとしてもびくともしない。まったくゆるめることができない。
 ルーム係を呼ぼうとしたが、チップというやっかいなものがあるので、呼ぶことは止した。そもそも、最初にトランクを部屋に運んでくれたポーターは、荷物を部屋においてもその場につったって部屋の外に出ていこうとしない。彼らは山内さんから一括してチップをもらう手筈になっている。私が英語で
 「ユーシャル・ゲット・チップス・フロム・ミスターヤマウチ・ドンチューノウ?」
と言ったら、すぐに出ていった。
というわけで、水でうすめない熱湯を浴槽に二十センチほどはって、それで体を洗った。硬水であるから、シャップーや石鹸の泡がまるでたたない。しかし、長時間飛行機に乗ってきた後のシャワーはしごく快適である。
 私はシャワーから出て、家内がシャワーを浴びている間に深い眠りに落ちてしまった。
  1. 2010/07/30(金) 04:22:56|
  2. 旅行記
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クアラルンプールにて

クアラルンプールには夕刻五時四十分頃到着した。日本では冬の寒さが残っていたが、ここでは真夏である。しかし、空港の建物の中は冷房が効いているので、服装は日本で身につけきた長袖のものである。待合室を行き交う人たちの服装は、夏らしい半袖の服装である。私たちの中にはコートを羽織っている人もいるが、それを脱げばやや春らしい服装になっているので、さほど場違いな服装というわけではない。
 南インドにある都市チェンナイ行きが出発するまでに五時間ほどの待ち時間がある。待合室のセンター付近に集まって、山内さんから、帰りの便について説明を聞いた。
 東京組みと関西組みがここで分かれて、関西組みはコンダクター無しで、自分たちだけでここから搭乗するのだというゲートを確認した。
 クアラルンプール空港の建物は超近代的な建物で、設計は日本人ということである。建物内の様々な店も、国際都市に相応しい美的センスあふれる内装である。
私は家内を促して、寒いプラットホームの上で待っていて下さった安藤さん、太田さん、宇野さんに、今朝の遅刻の罪滅ぼしにコーヒーでも御馳走しようと、提案した。
 喫茶店を探して、どっかりと腰をおろし、家内が五人ぶんの飲物を注文して運んで来てくれるのを待っていた。しばらくしてもなかなか運んでこない。そのうち、家内は私を呼びにきて、小さなクロワッサン二つと飲物は四つ買えたが、後の二つの飲物を追加注文しようとしている。日本円で千円だしても足りないという。
 安藤さんが私に米ドルで二ドルを提供してくださったので、それを持ってレジに行った。レジの女性は早口の英語で、釣銭はマレーシャドルでしか出せない、という。レシートを見て驚いたことは、コーヒー四杯で日本円の千円だという。日本国内の料金とほぼ同じである。マレーシャの物価は東京並みなのかと、がっかりしてしまった。マレーシャで買物をするなら、米ドルをもっているべきである。
 飛行機に搭乗してから、いざ離陸するまでに一時間以上かかった。後で山内さんが説明してくださったが、貨物室に積み込んだ荷物の中に、持ち主が乗客名簿になかったものがあったということで、その後始末に時間がかかったそうである。
  1. 2010/07/29(木) 05:07:26|
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関空からクアラルンプールへ(2)

これはブッシュが選んだ方法である。アメリカ国民が選んだとは考えたくない。彼らはもっと深い所で正義とは何かを理解している国民であると私は思っているから。
 名医に匹敵する素晴らしい大統領なら、国民の怒りを煽り立てる演説ではなく、ひたすら冷静さを取り戻す辛抱強い呼び掛けを行い、国民に安心感を与える工夫をしつつ、あの事件の背景にあるものへと国民の目を向けさせ、切除する方法ではなく、相互理解と融和へと進むために、どのような選択をすべきかを国民に訴えかけていくだろう。
 ちょっと目には、軍事力を使って報復攻撃をすることよりも、膨大な時間がかかりそうに見える。しかし、この方がむしろ報復攻撃によって、さらに長い年月、憎しみを倍加させ持続させるよりも、はるかに短い年月で解決に向かうことを私は確信している。
 機内は冷房がよく効いていて、私にとっては非常に快適な空の旅ができた。
 飛行機に酔うといけないから、といって安藤さんが宇宙エネルギーのシールを下さった。彼女自身が首筋や足の脛に何枚か張っていて、
 「とてもよく効くよ」。
とおっしゃる。 
 私は一円硬貨を手首に貼って、船酔いを防ぐ方法を人から聞いていたので、そのシールを頂いて、手首の所に貼っておいた。そのせいかどうかわからないが、行きの道中、バスの中でも乗り物酔いには決してならなかった。
 家内は、そのシールを左の首筋にだけ張っておいたら、後になってそのシールを貼っておかなかった右側がコリコリに凝ってしまったので、そのシールの絶大なる効果を知ることになる。
  1. 2010/07/28(水) 05:04:06|
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関空からクラルンプールへ(1)

危うい所でこの飛行機に乗り遅れるかもしれないという心配をしたこともあったが、無事に飛び立つことができた。ほっとすると、搭乗時の持ち物チェックの厳しさがつくづくと思いだされた。
 去年のテロ事件以来、チェックが以前にも増して厳しくなり、はさみや爪きり、毛抜きさえ、機内持込み荷物に含ませてはいけないという。
 テロリストが爪切りをスチワーデスの首筋にあてがい、
 「言うとおりにしないと、怪我をするよ」。
というせりふを吐くシーンを空想して、密かに含み笑いをしてしまった。はさみならスチワーデスも体をかわす余裕がないかもしれないが、爪切りや毛抜きでは、ほとんど笑い話の種になってしまう。
 ここまで神経質になってしまった原因とは何か。
 果たしてテロリストと呼ばれる人たちが一方的に責められるべきであろうか。このことは、世界の大勢の人たちが判断できるようになっていなければならない。人々の心の明確さこそが力強い世論を作っていく。
 たとえ話をしよう。
 人体中に、組織器官の機能を麻痺させてしまうような悪性癌細胞がある場合、単純な外科医は、それを切除することを最善の策とするだろう。
 名医と呼ばれる優れた医師は、まず病変部分の状態を様々な観点から検討し、切除することは最後にして、免疫力を高めて異常細胞を減少させ、正常細胞を増加し強化する方法を工夫する。
 テロリストについても同じことが言える。もっとも単純な政策は彼らを抹殺するために、圧倒的な軍事力を行使することである。
  1. 2010/07/27(火) 05:23:01|
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関西国際空港にて、山内さんとの出会い

列車が関空に到着すると、私たちは集合場所にほとんど駆け込むばかりだった。待ち合わせ時刻の九時三十分になっていたからだ。安藤さんたちは、スーツケースを空港まで宅急便で送ってあるので、それをとりに窓口へ行った。私たちがマレーシャ空港のカウンター付近にくると、京都や岡山、九州方面から来た人たち、名古屋方面からきた人たちが集まっていた。ほとんどが女性である。そのグループの中心に背丈百八十センチぐらい、やや大柄ではあるが、太っているというより、むしろスマートな体型で、頭のてっぺんが薄くなりかけていて、年の頃は四十代後半から五十代前半の、明るい表情の男性が、通りのよい甲高さを含んだ、落ち着いた声で、
「これから皆さんにパスポートをお渡しします・・・」と言って、順々に名前を呼んでは、パスポートを手渡していた。真っ直ぐの姿勢で動作に無駄がない。説明は手際がよく、引率される私たちに不安を感じさせない。相当に旅慣れた人だと感じさせる。
 この人がレインボー・ツアーズのコンダクター山内さんだった。山内さんが説明されるには、機内に持ち込む手荷物の中に、はさみ、爪きり、くだものナイフなどがあると搭乗を拒否されるか、色々と面倒なので、そのようなものは貨物として運ばれるトランクの中に入れるか、それができなければ山内さんが一括してお預かりします、ということである。昨年九月の同時多発テロ事件以来、手荷物検査は一段と厳しくなり、ほんの小さな金属製のものが、凶器となりうるとみなされるようになった。
 数人の女性たちが、はさみ、爪きり、毛抜きなどを山内さんに預けた。
 まもなく私たちは無事に荷物検査と身体検査をパスして、機上の人となった。
  1. 2010/07/26(月) 05:23:33|
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三月七日、関空へ(2)

私が、二つのトランクに四苦八苦しながら階段を登ると、安藤さんのご主人が、プラットホームで待っていてくださった。
 開口一番、「心配していたけれど、間に合うよ」と言ってくださった。その顔を見ると、ほんとうに心配のために額に縦しわが刻みこまれてしまったかのようだった。すみません、コレコレの事情で、と手短に説明すると、ご主人が家に着く頃、奥さんの安藤さんが大阪から電話をかけてきてくださるから、そのとき何時何分の「のぞみ」に乗ったことを伝えること、「のぞみ」か「ひかり」で新大阪にむかえば、「こだま」で行った安藤さん一行にほぼ追いつけることなどを説明してくださった。
 そうこうしているうちに、驚いたことに、ほぼ三十分遅れで、家内がやってきた。普段自宅から上社の駅まで三十分ぐらいかかっているから、ほとんど半分の時間で地下鉄の駅と自宅を往復したことになる。後で聞いて分かったことであるが、タクシー乗り場で待機していた、たった一台のタクシーの運転手は、車の中で仮眠していた。窓をたたいてその運転手を起こし、事情を話して、車を飛ばしてもらったこと、娘が臨機応変に対処してくれたこと、これに加えて(彼女は意識の力で時間を短縮できる、と主張するのだが、私にはよく理解できない)彼女独自の方法によって、思いの他速く到着することができた。
 これは後に家内から聞いた話である。
 タクシー乗り場に、運よく停まっていた一台のタクシーの運転手が家まで車を飛ばしている間、交差点の信号がことごとく青となって、一度も赤で止められることがなかった。そして、玄関で待っていた娘が乗り込んだ後は、素直に娘の指示に従って運転してくださった。思いの他、通常では考えられない程の時間で、家と上社駅の間を往復できた、という話をしてくれた。タクシー運転手は不思議な人物であった。
 七時何分だったか忘れてしまったが、とにかく最もはやく出る新幹線の「のぞみ」に私たちは飛び乗って、新大阪を目指すことにした。
 新幹線の中から娘に電話して、二人が合流できたことを伝えた。
 「のぞみ」が新大阪に到着すると、直ちに関空に向かう列車「はるか」の乗り場である十一番ホームに向かった。家内と打合せをしていたわけでもないのに、ホームにたどり着くと、家内は安藤さん一行を探し始めた。ここで待っていてくださることを確信しているかのようだった。私ももちろん、そんな気がしていたが、それが家内に伝わっていたのかもしれない。
 しばらくすると、杖をついた安藤さんの姿が目の前にあった。事情はすべて分かっています、という顔だった。私も敢えて詳しくは話さず、手短に後れた理由を伝えた。太田さんも宇野さんも、寒いプラットホームの上で待たされるはめになって、何があったのか尋ねるだろうと予期したが、案外明るい表情で、安堵されているようだった。
 列車の中から、娘に連絡して、一行と合流できたことを伝えた。旅行を土壇場でキャンセルしなければならないことになるかもしれないという思いが、一時はよぎったこともあるが、案外冷静に対処することができてほっとした。

  1. 2010/07/25(日) 05:25:01|
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三月七日、関空へ

ジージージー・・・という目覚まし時計のベルで目が覚める。ジャスト五時である。ベッドから飛び起きて洗顔にとりかかるが、家内の方は目覚まし時計のベルの音をものともせずに眠りこんでいる。
 昨夜から、私がほぼ徹夜状態で、確定申告書を書いていた。その間、彼女は床につかず、台所仕事をしていたようだ。後に残す娘のために、食事の準備をしていたのだろう。こういうところで手抜きをすることができないのが彼女の性分のようだ。私が肩をゆすって、「今すぐに起きないと、五時三十分の始発に間にあわんよ」。
というと、
「もうそんな時間?」
 と言って、体を起こした。荷物の準備は、前日にすましてあるので、後は洗顔と着替えをすませれば、すぐに出発することができる。
 五時十分には玄関を出て、途中確定申告書を郵送するために、名東郵便局(この局は二十四時間受け付けてくれる)に立ち寄り、ほぼ予定通りに五時半過ぎに地下鉄上社駅に到着した。私が先に家内の車から降りて構内でキップを買って待っていることにし、その間に家内は、ホンダ・トゥディを指定場所に駐車して、後で私と合流する手筈である。トゥディは後で娘がとりにくる。
 キップを検札機に入れようとすると、家内が突然
 「どうしよう、リュックがない。あの中に大事なものがすべて入っているの。車の中に忘れたわ」。
 と叫んだ。
 「パスポートは、レインボー・ツアーズが持ってくるし、お金なら私も少しはあるよ」。
 「だめ、あれを持って行かないと」。
 「今からでは、間に合わないよ」。
 「私って、大事なときにいつもこういうヘマをやるの」。
 「あなたは、一千万円入れたかばんを車の屋根に載せて走り出すタイプの人だね」。
 「そうなの。昔、そういうことを本当にやってしまったわ」。
 家内はどうしよう、どうしよう、と言って途方にくれるばかりだった。ここでインド旅行を諦めるわけにはいかない。家内もぎりぎりの時間まで寝ていたことを知っているので、約束した新幹線の出発時間には、どうやっても間に合わないことを察知した。
 「じゃ、タクシーを使って家までスペアキーをとりに行ってらっしゃい。私だけ先に行って、事情を安藤さんたちに話しとくよ。飛行機の出発時間は、十一時三十分だから、逆算すればその時間には十分に間に合うから、あなたは後からいらっしゃい」。
というと、家内は、直ちにタクシー乗り場の方に向かった。家内がいなくなってすぐに、携帯電話で、娘に
「お母さんが、車の中にリュックを忘れて、ロックしちゃったから、スペアキーをとりにいく。キーを持って玄関で待機していてくれる?」
 普段は、私の言葉にほとんど耳を傾けない娘も、このときばかりは、ことの重大さが分かったのか、二つ返事で引き受けてくれた。
 私は、自分の分と家内の分の二つのトランクを持って、地下鉄のホームまで階段を上がらなければならない羽目になった。ホームに辿り着くと、心を落ち着かせて、安藤さんを思い浮かべ、
「待ち合わせの時間に間に合いませんから、先に出発してください」というメッセージを思念伝達(注⑯)で伝えようとやってみた。正しく伝わっているかどうかは、定かではないが、以前彼女の家で瞑想会に遅刻したとき、「十分ほど遅刻します」というメッセージを、ある方法で思念伝達したら、彼女がそれを本当に受け取ってくださったかどうか確かめたわけではないが、瞑想会は始まっていなかった。私の到着を待っていてくださったので、ひょっとすると私の思念伝達をちゃんと受け取っていただけたような気がしていた。
 私が名古屋に着いたのが、六時二十分過ぎで、二つのトランクを抱えていては、新幹線乗り場にどうあがいてもプラットホームには六時三十分に辿り着けないことを知った。たぶん心配して迷っておられる安藤さんと太田さんと宇野さんの一行が、私たちのことを構わずに先に行ってくださることを祈りつつ、新幹線ホームに向かった。その間に、娘から連絡が入り、
「かあさんは、リュックを手にして地下鉄に乗ったから、七時頃には、名古屋に到着できる」と伝えてきた。
  1. 2010/07/25(日) 01:08:25|
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クアラルンプールから関空へ

平成十四年三月のこと

クアラルンプール空港から関空へ。
 飛行機は、超近代的なビルから離れ、ゆっくりと離陸地点へと向かって、大きな翼をもてあますように移動していく。小さな窓から外を見ると、左手に照明灯の明かりが点々と数キロ先まで続いているのが、暗闇の中に浮かんでいる。おそらくあの照明灯の列に沿って離陸していくのだろう。
 その出発点に向かって、ゴトゴトと音を立てながら、機体は大きく左にカーブを描いた。すると、ジェットエンジンに点火され、私たちの体は強い力でシートに押しつけられた。
 睡眠不足の日々を送ってきたし、疲れを感じているので、すぐにも眠りに就くことができると予想していた。しかし、エアコンの冷房が、今度は私にはひどくこたえるものだった。パーサーに頼んで毛布をもう一枚もってきてもらって、それを体中に巻き付けてシートを倒してウトウトとした。
 アイ・マスクをつけてはいたが、頭が興奮しているのか、眠りに就くどころか、旅行の最初の出だし、三月七日の朝の出来事から、次々にこの七日間の出来事が展開していく。それらを、順を追って頭の中に蘇らせていく・・・
  1. 2010/07/24(土) 05:18:37|
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インド旅行記

がらりと雰囲気をかえて、これからしばらくの間は、8年前の2002年にインドに行ったときの、旅行記をこのブログに書いていきたい。乞うご期待。

はじめに
  これは七日間のインド旅行の記録である。さらに言えば、サイババのダルシャン)とはいかなるものかを、描写しようと試みたものである。
 視点が異なれば、全く別の描写が可能であろう。私が観察することができたものは、万あるうちの一つにすぎない。それでも、この旅行記を書こうという気持ちが強くなった経緯は、本文中に書いてある。
 サイババを神人と認める人は、たぶんあまり多くはないだろう。私は平凡で単純なので、ある人から聞いたままに、サイババを神人と認めている。それでサイババは、私に神人としての姿を見せてくれた。サイババを手品師と認識する人には、たぶん手品師としての姿を見せるだろう。
私は、この旅行記で、私のサイババについての見方が本当であったことを報告したい。
                          平成十四年四月
  1. 2010/07/23(金) 12:46:09|
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植物人間について

私の知人で、遠方に住む母親が植物に人間として、死ぬに死ねない状態のまま、長期に入院していて、毎週日曜日には病院にお見舞いに行っていると話していた人がいた。知人は、兄弟たち全員が日曜日には病室に見舞いに行っているが、誰も生命維持装置を取り外してくださいとは言い出させないという。毎月の医療費が負担になっていると語っていた。
医師たちは、家族からの申し出があれば、たぶん維持装置をはずすことができると思われる。かつては、末期がん患者の方に頼まれて、カリウム液か、モルヒネを致死量投与して、殺人罪で告訴されて、裁判沙汰となった医師がいた。
どうしてこのようなことが起こるのであろうか?
今の医療の見方は、すべてを優先して、肉体の生命を維持することが大切であると考えているに違いない。
魂が肉体から抜け出すためには、かなりのエネルギーが必要で、死後硬直が起こってからも、肉体は独自にそのためのエネルギーを細胞のなかに温存していて、死体を観察している人は、死後硬直が起こったのちに、肉体が一時痙攣状態になることを報告している。そのときに、魂は肉体から脱出するのである。
しかし、魂が脱出のために温存していたエネルギーさえも、肉体の生命維持のために使い尽くしてしまって、魂が脱出できない状態となることもあるという。
これは不幸な出来事である。医療従事者から、患者の家族の方によき提案がなされるようになることを願っている。
  1. 2010/07/23(金) 05:34:43|
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死ぬ技術

生きる術もよく知らないのに、死のテクニックについて語るとしたら、笑われてしまう。「生きる術」という本があり、その本によれば、この世界にはスピリツアルな法則があって、物理法則として知られているものは、そのスピリツアルな法則の低位の対応法則であるとしている。生きる術とは、そのような法則を知って、法則に則って生きることであると示されている。私はスピリツアルな法則を知悉しているわけではなく、そのような法則が存在していることを認めているだけである。
死に関しても、霊法則が支配しているという確信があり、その法則を知りたいと願っている。今のところ分かっていることは、肉体から離れてから、いわゆる精妙体と呼ばれているものを、その構成要素の貯蔵所に返還する際に、過去の神秘家たち、ダンテやスウェーデンボルグらが書き残しているように、煉獄と呼ばれるところで、これまでの行動と思いをすべて点検して、清廉な魂についた汚れをとりはらい、不足していた色がなんであるかを理解して、魂をその本来の世界に返却するということである。これが、死ぬ技術とどのような関連があるのだろうか?
  1. 2010/07/22(木) 04:54:43|
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死期について

逆に「死ぬ技術」を習得しようとするものは、神秘的な魂の意志と一体化できるように意識して努めるようになるだろう。
「蝉は鳴き そして死するも 今ここに なすべきことを なし終えたり」
なすべきことをなし終えたとき、死は喜ばしい期待に満ちたイベントとなる。たとえ、病状があって、それが死期を早めたと思われようとも、悲しむには当たらない。肉体が老齢化して、まったくの健康状態で寿命が尽きるとしても、死因として「心不全」という病名がつけられることが多い。生命は頭と心臓に碇を降ろしていると教えに示されている。魂は、頭と心臓に降ろしていた生命を抽出して、それがやってきたもとの場所へと戻される。
意識の連続性を保持して亡くなった人で、今は黙して語ることのない人でも、自分と同じような経験をしている人が他にもいるということが分かれば、勇気を持って、前世の経験を語り始めるだろう。そして、そのような人たちがだんだん増えてくることを、JKは予想しておられる。
パーソナリティの意志ではなく、魂の意志によって、賢明に、正しく、適切に時期を選ぶことが死ぬ技術である。
自分の人格は、肉体を含めて、魂の表現体であると理解して、魂の意図を理解するように努めたいものである。
  1. 2010/07/22(木) 04:49:53|
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意識の連続性について

かつて、「前世を記憶する子供たち」という本が出版されたことがある。
死が「復活」過程であるという、あらたな意味が加わり、死は「再生」の過程であるという認識がなされると、死を経過しても、それまでの意識を再生時に継続して持ち続けたいという欲望が目覚めるに違いない。
現在は、多くの人々が過去世の記憶を保持していない。なぜか?これは、愛の法則によって、そのようになっていると考えられる。人々は、すべての人がそうではないかもしれないが、たぶん過去世において、記憶に留めたくない多くのことをなしている。過去において、人を殺したり、嘘をついたり、他者を犠牲にして、自分の利益を図るということを一切しなかったなら、過去世の記憶を保持していることは、よいことである。しかし、過去世において、利己的動機で、他者に害を与えたことがあったとしたら、その記憶を持ち続けることは、その人にとって苦痛であるにちがいない。そんな記憶を持ったままで、幸せな人生が築けるとは思えないし、進化の道を有利に前進できるとは考えられない。だから、あまりに詳細な記憶が消去されて生まれてくることは、人間にとってすばらしい仕組みである。
死と生の意義を少しでも理解しようとしている人は、新たな気持ちを抱いて、進化の道を意識的に辿ろうとする。そのような人々は、今生での経験を明晰な意識の中に留めて再生したいと考えないだろうか?
そのような人々に、記憶を保持したままで、つまり、「意識の連続性」を維持して生まれ変わりたいという、欲望が目覚めるかもしれない。その欲望をかなえようとするのが、「死ぬ技術」の習得である。21世紀は、大勢の人々がその技術を追求するようになると予言されている。
  1. 2010/07/21(水) 15:06:43|
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もう一つの恐怖の原因

死の恐怖の原因となっているのは、愛する人との、死に際しての永遠の別れという考え方だけではないことに気づいた。
多くの人は、かつて地獄とか閻魔大王という話しを聞いたことがある。これだけ、科学的、理知的発見が進んだ世の中で、かつての説話に出てくる地獄や閻魔大王を信じている人はいないだろうが、それでも、これらの話しは、何らかの事実をたとえ話の形で、人々に伝えようとしているのではあるまいかと考えてしまう。これが、たとえ理知的な人であっても、よからぬ想像を掻き立ててしまうにちがいない。
西洋においても、JKは、かつてのユダヤ教が「怒る神」であるエホバをしめし、ユダヤ人たちを恐怖によって統制しようとした。しかし、地球ロゴスは、愛そのものであり、イエスが指し示したとおりの方であると述べている。
唯一の地獄は、この地球であるとJKは述べている。閻魔大王も、罰課を与える鬼も存在しない。秘教の教えは、すべての裁き手は、自分自身であると教えている。自分を罰に値する者とするのも、神の息子にふさわしい者とするのは、自分自身であると教える。
  1. 2010/07/21(水) 15:00:20|
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死者を送り出す

JKは、死ぬ瞬間における家族の心構えについて語っている。私たちの感情、思いがお互いにつながっているという認識が普及するにつれて、人々は感情のコントロールがとても大切であることを知る。
家族がやがて死を迎えようとしている肉親のそばにいるとき、しめやかな心に支配されることはやむを得ないとして、別れたくない、死別はいやだという、強い感情にとらわれることは、死者に大きな負担を強いることになると述べている。死者は安心して肉体から離れることが最大の課題である。もしも、その時点で、肉体への執着心が芽生えると、その意識が物質界に死者を幽体の中に長くとどまらせることになりかねないのである。
現時点において、死に歓喜して、死者を送り出すような態度を表現することは、顰蹙を買うことになるかもしれない。しかし、将来においては、このような態度も普通になる。その方が、死者にとっては、平安な心で肉体を脱ぎ捨てて、自分が向かうべき世界に、直ちに向かうことができるからである。
JKは、死者を助ける気持ち、死者に奉仕する気持ちがあるなら、家族だけでなく、友人知人も平安な気持ちを保持して、立ちあうべきであると述べている。もしも、悲しみが強く、引き止めたいという気持ちは、敏感になっている死者の意識に大きな負担を強いることになるかもしれないので、あまりに悲しみにとらわれている人は、立ち会うことを遠慮したほうが良いかもしれない。しかし、平安な心を維持する肉親や知人は、死者の旅たちを大きく支援することができると語っている。
  1. 2010/07/21(水) 14:57:49|
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イニシエーションという言葉

この誤解されている言葉について、触れざるを得ない。できれば、触れることを避けたいと考えていたが、再生誕の考え方の中に出てきた言葉であるので、避けて通ることはできないと思うようになった。
ある教団の教えの中にこの言葉が出てくる。多くの人々に警戒心を抱かせるもととなっている。私は、いかなる宗教団体への勧誘を勧めるつもりはない。ある人は、宗教団体は、人が二階に上がるための階段のようなもので、二階に上ってしまえば、もはや階段は必要ないと述べている。宗教団体にはいって、その教団に条件づけられてしまうと、マインドの殻のようなものができて、その殻を打ち破ることは、非常に困難になる。
かつて、オーストリアの神秘家シュタイナーが、「秘儀参入の道」という本で、イニシエーションを紹介している。この本を読むと、一般の人が近づくことはとてもむずかしいと感じられる。シュタイナーが獲得していた透視能力という超常能力を得ていなければ、イニシエーションを得ることは、むずかしいのかなと考えてしまう。
一方、哲学者クリシュナムルティが少年時代に第二イニシエーションを受けたときの、手記が残されていて、それを読むと、そのような透視能力や透聴能力などの超能力は、第三イニシエーションを得るまでは、求めるべきではないと述べている。
JKはそのような超常能力を得て、自分は常人と違う、一般の人々とは異なるというエリート意識というか、差別意識が芽生えることに、大きな危惧の念を抱いておられる。クルシナムルティも神智学徒で、そのような差別意識を抱いてしまった彼を取り巻く星の教団を解散してしまった。
イニシエーションという言葉を辿っていくと、多くの秘教的情報に接することができる。ある本によると、福音書の物語は、イニシエーションの過程を象徴的に物語っているという。イエスの誕生は、第一イニシエーションを象徴し、ヨハネによる洗礼が第二イニシエーション、磔刑にされる前の山上での変貌が第三イニシエーション、磔刑が第四イニシエーション、墓場からの復活が第五イニシエーション、そして昇天と呼ばれる第六イニシエーションを経て、次々に意識を拡大し、人間界を卒業すると説明されている。
頂上に行きつく多くの道があるが、イエスが模範で示した愛の道がもっとも容易に辿ることのできる山頂への道であるとある方は述べている。
  1. 2010/07/21(水) 14:52:21|
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人格意志と神聖意志

以前に人格の意志と魂の意志という言葉を使ったので、この二つの言葉について、解説したい。
19世紀のロシアの神秘家ブラバツキーは、 「シークレット・ドクトリン」の中で、バカバット・ギータの中の次の文を解説している。
「永遠不滅の魂である我は誕生することなく、諸存在の主であるが、我の上位にある、真我が私の性質に対してなすごとく、魂の魔術的な力を通して、物質界に顕現する」(ギータ、第6巻の6)
バカバット・ギータは、インドのヒンズー哲学の根本経典となっているが、秘教哲学の根本経典ともなっている。
魂は、肉体即ちパーソナリティを乗り舟として、物質界で経験を積む。魂もまた真我、即ち、神の閃光である真我の乗り舟である。
魂意識を自覚する人は、高く進化したイニシェートたちであると示される。私たちは、一般にはパーソナリティの意識を持ち、私たちが魂意識を持つことは、非常に困難な状況に遭遇したときなどのまれな場合であると示されている。物質界の経験は徐々に魂意識を培っていくと説明されている。だから、普段はパーソナリティの意識である。魂意識への志向が目覚めて、初めて人は瞑想を開始すると。
ここで述べられているごとく、私たちはすべて、神の閃光であり、宗教団体が「 神の子」と述べている通りである。ブラバツキーは、私たちは「生まれ出ずる神」であると述べている。
死に際しては、パーソナリティの意識は魂意識に席をゆずり、一瞬にしてこれまでの生涯に思ったこと、行ってきたことを思い出し、そこから得られる知恵をエッセンスとして記録すると説明されている。
  1. 2010/07/21(水) 14:47:41|
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死と睡眠の類似店と相違点

睡眠が肉体の疲労を回復させ、活力の再生に貢献していることは誰もが認める。それと同じように、死も疲弊し、老朽化した肉体と精妙体の再生復活に貢献する。睡眠時は、意識のコードだけが引き上げられて、心臓にある生命活力のコードはひきあげられない。そして、睡眠から覚めると、意識と活力の両方が肉体にもどると示されている。つまり、「シルバーコード」と呼ばれているものによって、肉体と精妙体とのつながりが維持されたままとなっている。
これに対して、死の場合には、「シルバーコード」は断ち切られて精妙体が肉体にもどることはないと示されている。しかし、意識は生存中肉体にしばられていたときの意識のままで、自分が肉体から離れていることを認識していない場合が多いという。そのため、そのことを教え伝える縁のある霊存在がやがて近づいてくるといわれている。その後、先に言及した「第二の死」が発生する。それは、今度は精妙体を、もとの構成要素にもどして、その普遍的貯蔵所へと返還し、魂をその本来の界へ吸収させる過程がはじまる。これについて、かつて神智学者たちがアストラル・ビジョンを捕らえて、その詳細を発表したが、その中には多くのグラマーが含まれていたとJKは指摘している。だから、私も推測的な情報を伝えることは控えたい。ただ、この過程には、時間の観念をさしはさむことは誤りであることだけをお伝えしたい。肉体脳のないところには、この世での時間という観念はなく、「永遠の今」があるのみであるとJKは述べている。
  1. 2010/07/20(火) 05:09:28|
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死の際しての孤独感

これまで絆を深めてきた友人、知人、そして家族との死別をおもうと、孤独感にとらわれる。しかし、JKによると、この孤独感は誕生時の孤独感に比較すれば、なにほどでもないという。誕生時には、まったく見知らぬ人々と、環境の中に、自分の意志ではどうすることもできない、無力の状態で投げ込まれることになる、といわれている。もちろん両親や親戚の人々の歓迎を受けることは間違いないが、その時点では、家族や親戚といえども、自分の魂にもっとも近しい人々というよりも、カルマ的な関係で、つまり、カルマの負債を支払ったり、逆に支払われたりする関係で、血縁関係を結ぶことを選択してきていると示されている。そして、自分の魂と近しい関係のグループを見つけるのは、生長して意識の発達を経てからであるとJKは教える。
他方、死後にすぐにめぐりあうのは、これまで交流のあった、そして先にあの世に旅立って行った両親や友人知人ばかりで、あの世での再会は、喜ばしいものになると教えている。
  1. 2010/07/20(火) 05:06:38|
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条件つき永遠の生命という理論

ある宗教団体に属するエリート的な人々の中には、このように考えている人を見かけることがある。教団の教えを受け入れて信仰を持つ人は、「永遠の生命」を得ることができるが、その教えを受け入れず、信仰を持たない人は、罰を受けて、いわゆる地獄にいくか、人間以下の存在に生まれ変わるという考え方である。常識を持つ人なら、ばかばかしい考え方であることがすぐに納得できると私は思う。
この解説の中に出てくる「神人」は、次に出てくる高い段階の「イニシエーション」を受けて、人間の段階を卒業された方である。そのような方を今のところは身近に見ることはないが、やがてはそのような方に接触することが日常茶飯事になると教えの本には示されている。仏典の中に阿羅漢とか、菩薩という言葉で表現されている人々は、いずれも、ある段階のイニシエーションをパスされた方々である。JKは、その著書の中で、今の時代はイニシエーションの大きなチャンスの時期であると語っている。
  1. 2010/07/19(月) 18:33:24|
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完全に唯物的な考え方について

この考え方の対極にある、秘教の教えでは、パーソナリティは、目に見える肉体の内側に肉眼では観察できない、エーテル体、そして、その内側にアストラル体、メンタル体があり、それらの精妙体(これらの観念に、日本語の幽体と言う言葉があてはまるかもしれない)が魂体を包んでいると教えている。唯物的な考え方は肉体のみを認めているから、そのような目には見えない存在を仮にも認めることはない。そして、自我意識は、肉体の細胞が持つ意識の総和であると考えている。従って、肉体が崩壊すれば、自我意識もなくなるのである。たとえこのようには、考えていないとしても、多くの人々のマインドにこの考え方が影響を与えているに違いない。そして、死に際しての苦しみの原因となっている。
しかし、このような理解の仕方は、18世紀のビクトリア時代ほど大勢の人々が持っているわけではない、と示されている。宗教の独断的思考が否定されて自然科学が芽生えはじめたこの時代に芽生えたこの考え方は、キリスト教会の神学が押し付けた考え方の反動として生まれたと考えられる。
  1. 2010/07/19(月) 04:21:03|
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死についての三つの考え方

現在、死についての理解の仕方は、大まかに言って、次の三つに大別されている。三つは明確な違いを持っているが、これほど明確な区別のある理解ではなく、それぞれの中間的な交じり合った考え方もある。以下は「エソテリック・ヒーリング」からの引用である。
1. まず、完全に唯物主義的な考え方。死亡して、肉体が崩壊した後は如何なる意識も存在しない、自意識を持つ人はいないと教える。「私」という感覚、即ち、他のすべてのパーソナリティと対比されるパーソナリティについての認識は形態の消失とともに消滅する。パーソナリティは肉体細胞の意識の総和にすぎないと信じられている。この理論は、人間を自然界の他の三つの王国の形態たちと同じ状態に格下げしている。この理論は平均的な人が、生命が肉体から引き上げたら、生命に無感覚となるという考え方に基礎をおいている。そしてそうではないというあらゆる証拠を無視し、私たちは「私」即ち死後の永遠の存在の存続を(視覚的に)見ることも(触知して)証明することができないから、それは存在していないと主張する。この理論は以前、とりわけ物質的なビクトリア時代におけるほど、大勢の人々に支持されているわけではない。
2. 条件づきの永遠の生命という理論。この理論はある原理主義者たちと偏狭な神学的思想学派、それに少数の知識階級、主にエゴイスティックな傾向を持つ人々によって今も唱導されている。特定の霊的認識の段階に到達した人、もしくは、特定の神学的理論を受け入れている人々のみが個人的永遠の生命という贈り物を受け取ることができるという理論である。ある学派は自分たちの特定の神学理論の押しつけ、つまり唯物主義的考え方と同様の完全な無となるか、永遠の罰を受けることになるかのいずれかという理論の押しつけに反抗またはそれを否定する考え方をする人であると見なす自分たちを選別された人々として分離する。そして同時に一種の永遠の生命という議論を打ち立てている。人間のハートは生来的に親切であるので、この理屈を受入れることができるほど無思考の人々はほとんどいない。そして、精神的責任を免れ、神学的理論を盲目的に信仰する考のない人々を反抗的な人々として分類しなければならない。正統派と原理主義的思想学派が提供するキリスト教的解釈は、明晰な理性に委ねれば支持できないものであることが分かっている。その理論が正しいものではないとする議論は、キリスト教会は長い未来について述べているが過去については触れていないという事実が含まれているからである。それはあたかも未来はもっぱら現在の生活状況における活動にのみ左右されるし、人類を他の生物と区別する違いや特徴の由来について全く説明していない。この理論は、過去のない未来だけを持つ現在を提供しようと(神人はそのように実践しているのであるが)意志する神人の理論を基礎としてのみ支持できる。このことが不公平であるということは広く認められている。しかし不可解な神の意志に疑義を挟むべきではない、というのが彼らの理論である。数百万の人々がこの信念を抱いているが、百年前ほど強くは信じられていない。
3. 再生誕の考え方。私の本の読者には馴染みとなっている考え方で、西洋でますます一般的となりつつある。この考え方は(多くの馬鹿々々しい追加と解釈があるが)東洋ではいつも受け入れられてきた。この教えは、キリストの教え、仏陀の教え、シュリ・クリシュナの教えと同じように、メンタル的限界を持つ偏狭な神学者たちによって、非常に歪められてきた。霊的存在が起源となっていて、物質への降下がなされ、絶えざる肉体への再生権化という経験を経て次第に霊へと上昇し、ついにはそれらの形態が内在の霊的意識の完全なる表現となる、そして再生権化の周期の終わりに一連のイニシェーションを受けるという基本的事実は、ますます受け入れられ、以前よりも容易に認められている。
以上が死についての基本的な考え方を大まかに大別したものである。やや難解な表現であり、専門的用語が使われているので、少し解説を加えたい。
  1. 2010/07/18(日) 14:05:39|
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死の過程

JKは、「死の過程」には、三つの段階があると述べている。最初の段階は、肉体からの抽出である。それは、肉体という一番外側の鞘を脱ぎ捨てる過程である。二番目の段階は、肉体の内側の体である精妙体と呼ばれている諸体(エーテル体、カーマ・マナシキ体(ある本では、アストラル体とメンタル体と呼ばれている)を、それらの諸体を構成している要素を元の貯蔵所に戻し、魂体だけになる過程、「浄化の過程」と呼ばれている。そして、三番目が魂をその本来の位置である魂の界のスピリチュアルな魂に戻す、「復元の過程」と呼ばれている。
肉体を脱ぎ捨てると、肉体脳を持たないが、意識は持続し、生前と同様の意識を持ち続けていることをJKも述べている。そして、木内さんの本からもそれが予想される。魂がその本来の魂界にもどる前に、肉体を脱ぎ捨てて幽体と呼ばれている状態にあって、その存在と現世で生活している人との交信が行われることがあるといわれている。しかし、その多くは、怪しげな霊媒者による詐欺的行為であるとJKは述べている。例外的に、生前に非常に知的段階に進化していた人が新たに獲得した能力(霊能力の一種)、つまり、メンタルテレパシーによって通信してくることもあるといわれている。心霊主義運動が盛んだったころの降霊会は、霊媒者が相談者のオーラ内にある交信を望む相手の人についての記憶を読み取って、それを伝えるだけで、本当に死者と通信しているわけではないと述べている。そして、このようなまやかしの流行によって、死後の意識の持続についての確信がかえって、遠のくことになったと指摘している。
7/15-3
秘教治療のテクニックにおいて、治療家が重症患者の治療に携わる場合、患者の人が死ぬ可能性もあるということを考えておかなければならないとJKは述べている。治療は「カルマの許す範囲内で」というのが、秘教治療の決まり文句である。患者のカルマがもしも現世になすべきことが残されていて、患者の魂の意志が、そのなすべきことに集中しているなら、如何に病状が重症であっても、病気から回復する可能性がある。しかし、患者の魂が古くなった肉体を放棄することを決意しているなら、意識がはっきりとしているとしても、病気から回復するのではなく、死の過程を進むことになる。人格の意志は魂の意志と対立していることになる。
もし、治療家が治療中に、そのような現象を感知したなら、周囲にいる人々には、治療の失敗と受け取られるかもしれないが、治療家は死の過程をスムーズにいくように、治療のテクニックを変化させなければならないと示されている。
病状からの回復を目指すときは、治療家は病状のある肉体の部位にもっとも近いエネルギーセンター近くに立ち、そのセンターから、第二光線エネルギー(愛のエネルギー)を自分のオーラを経由させて、患者に注ぐべきことが述べられている。しかし、患者が意識を引き上げ、生命力が肉体から引き上げられる傾向が、治療家にも、見守る医師にも認められるなら、治療家は患者の頭近くに位置を変えて、頭センターを通して、第一光線エネルギー(神聖意志のエネルギー)を流し、患者の抽出の過程を助ける方法に変化させるべきことを述べておられる。そして、この方が大いなる解放であると示される。病気からの解放は「小さな解放」と呼ばれている。

回復の見込みがないのに、患者が病状を長く維持して、苦痛を味わい続けることは、エネルギー的にみても、無駄だと思われる場合がある。死がそれほど、恐れるべきことではないことが一般に知れ渡ったときには、このような無駄が避けられることを私は望んでいる。
  1. 2010/07/18(日) 03:36:33|
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死についての理解

死についての理解を深める助けとなる情報は、JKの著作集に限らず、世に出回っている書物や宗教団体の教えの中に見つけることができる。
臨死体験をされた木内鶴彦さんが「生き方は星空が教えてくれる」(サンマーク出版)という本の中の77ページ以下に次のように書いておられる。
「そのときの私は、傍目には意識不明でこん睡状態に見えるのですが、実は意識もはっきりしていて、父と担当医が話している内容も全て理解していました....」
肉体は、全く動かず、心臓も停止し、呼吸も絶えて死が訪れていると思われるその人の意識は、生前以上に研ぎ澄まされて、周囲にいる人々の心の中まで理解できるようです。
この本は、臨死体験をした著者が、その時の体験がもととなって、大きく意識が変化した様子、死がそれほど恐れるべきものではないことが書かれています。
検索サイトで、「木内鶴彦」を検索すると、死後の世界についてのお話が聞けます。
  1. 2010/07/17(土) 15:26:06|
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死をもたらすもの

ヒンズー哲学で、現象界のすべてをもたらしているブラフマン、シヴァ、ヴィシュヌという三神がある。キリスト教の父と子と聖霊の三位一体の教えに似ている。
この中のシヴァ神は、破壊の神で、死をもたらすものと示されている。アリス・ベイリーの七光線論では、現象界のすべては、宇宙から地球に注がれている七つの光線の働きであると示されている。その中の、第一光線の働きが破壊である。七光線論では、第一光線は神聖意志の光線と呼ばれている。第一光線の数ある名前の中の一つは、「死の主」である。
葬式のときに、炊かれる白檀の香りは、第一光線の香りであるといわれている。照明の中では、白熱電灯のオレンジ色の光が第一光線の光であるので、死者は蛍光灯の明かりよりも、白熱電灯の照明の中に保管されることが望ましいと述べられている。白檀の香りや蝋燭の明かりは、第一光線の働きを助けると考えられる。
魂が三界での活動を再開することよりも、肉体を放棄して復元の過程を選択したなら、可能な限り、第一光線の働きを妨げないようにすることが望ましいことである。植物人間の形でも、この世にとどめておきたいという考えは、本人よりも周囲にいる人々の執着といえる。植物人間となってしまうと、意志を伝えることもむずかしくなってしまう。魂は、植物人間となって肉体の中に幽閉されることよりも、そこから解放されることを望んでいるだろう。
  1. 2010/07/17(土) 04:30:49|
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死について考える

JKは死についての話を健康状態にあるときに、友人知人の間で話題にすることを提案しておられる。唐突の形ではなく、お墓の話しが出たときについでに死について考えてみることを勧めておられる。そして、人間の誕生時と同じぐらい、それは自然な出来事であり、不吉で避けるべきことがらという誤った観念が払拭されていくことを期待しておられる。
JKは、死は忌み嫌われるべきことではなく、誕生と同じく喜ぶべき大いなる体験として、未来において死が期待されるようになることを予測しておられる。この新しい態度が、この不安に満ちた混乱期が終息して、新しい周期が始まるまでに、育成されることを予言しておられる。そして、そのためには死をもたらす要因の何がしかについての理解が不可欠であるといっておられる。
私たちは、もし死がなかったとしたら、たぶん文明は発展するどころか、ひどい状態になっていただろうと想像してしまう。だから、文明が正しい方向に発展していくためには、死はありがたいものであることを理知的に納得することができる。人類全体についてこのように納得することができるのであるなら、個人の死についても、もしも死がなく、肉体の老齢だけがあるとしたら、その方が悲惨とはいえないであろうか?死は、「復元」の過程であり、肉体からの「解放」の過程であるということが、理知的に納得できるのである。
では、死は何によって、もたらされているのであろうか?人間の肉体に限らず、すべてのものが、その寿命に長いものも短いものもあるが、周期的に誕生、成長、発展と維持、衰退、破壊というサイクルに則って、変化していく。これがこの惑星に存在を持ち、動き、生を持つものの定めである。この周期を作っているものは、生長の家の総裁、谷口雅春氏が、「生命の実相」という本の中で紹介されている、神の玉座の前の七つの灯台から発出される七つの光線の働きといわれている。これは、たぶんアリス・ベイリー著「七光線論」の翻案であろう。私は、新興宗教を興そうとか、宗教の教えを紹介したいわけではない。死がもたらされる原因の秘教的情報は、アリス・ベイリー著作集の中に発見することができ、それらを読めば、何がしかの理解が得られることをお伝えしたいだけである。
  1. 2010/07/17(土) 04:15:45|
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死の恐怖をなくす

死を経験していない、そして死に際して恐怖感を持つことなく泰然として、彼岸に渡ることができると証明することのできない私が、死に対する恐怖をなくすことを説くことができるかということがまず問題となる。嘘を語っていると思われる人が他の人に「嘘を言うな」と説いているとしたら、誰も相手にしては下さらないだろう。笑い話の種にはなることができる。笑い話の種になってもよい。私の願いは、私が得ている死についての情報をできるかぎりわかりやすい形で、一般の人々に伝えることである。
情報源は、死の世界を知っていると思われる方の言葉である。いわゆる高僧といわれる方、高く進化して、私たち人類を導く仕事をされている方の言葉である。今は、名前を明かすことはできないが、真理を求めている人々にはよく知られている方である。この方の名前を仮にJKという名前で紹介したい。私自身は、死を体験しておらず、死の向こう側については何も知らないが、知恵のあるこの方の教えを無条件で受け入れている。私の作文を読んでくださる方にも、私同様にそれらの言葉を無条件で受け入れてくださるようにお願いするつもりはないが、参考にしていただければという思いである。
  1. 2010/07/15(木) 04:57:30|
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死の恐怖

私はがんを患って旅立っていった人を何人か知っているが、死に対する恐怖感から免れていると思われる人は、平安な表情で眠るように旅立っていった。しかし、恐怖感を持ったままの人は、苦痛によって顔の表情がゆがんでいたことが忘れられない。平安な心をもって旅立ってもらえたらどんなによかっただろう。鈴木秀子さんのように、共感によって、死に逝く人に安心感が分かち合えたらどんなによいだろう。
知恵袋で、末期がん患者の方を見守る家族の方の質問を読んでいるうちに、死についての人々の過度の恐怖を取り除かなければならないことを痛感した。この過度の恐怖は肉体を過度に重視する誤った唯物的考えかたからきていると知恵ある方が指摘して述べている。私はこの知恵ある方の死についての教えをできるだけ易しく忠実に私心を加えることなく、人々に伝えることができたらどんなに良いだろうと思う。
  1. 2010/07/14(水) 04:09:15|
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死の恐怖について(1)

これから、シリーズで「死」について考えてみたい。一つには、現在の終末医療のあり方に疑問を持っているから。また一つには、病気治療に関連して、ある場合には死を避けることができない状況が必ずあるからである。
先日、NHKでノンフィクション作家の柳田邦夫氏がご自分の息子さんの死について語っておられた。ご覧になった方もいるかもしれない。死にはあまりにも悲しみがまつわりついているように感じました。
私はもちろん自殺を勧めるとか、自殺を促す考えはまったくない。自殺も生命についての誤った考えから来ていると思われる。
まず、死についての恐怖がどこから来ているのかはっきりさせることが重要であると考えている。
一般的には、死によってすべてが終わってしまうという強い確信が存在している。しかし、柳田邦夫氏も息子さんについて語られていたように、肉体が亡くなったとしても、息子さんは今も心の中に生きていて、話しかけて来られると話しておられた。この話しは、単なる空想、気持ちの上の事柄に過ぎないと言ってしまえるかもしてないが、とても重要なことが隠されているような気がする。
  1. 2010/07/13(火) 03:47:04|
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